◆12人のおかしな日本人 (2011)  

<委嘱>ヴォクスマーナ
<初演>2011年3月6日(日)14時半 東京文化会館 小ホール
      ヴォクスマーナ 第24回定期演奏会
      
      西川竜太指揮 ヴォクスマーナ

Soprano 1: 神谷美貴子  Soprano 2: 渡辺有里香  Soprano 3: 稲村麻衣子 
Alto 1: 中川遊子 Alto 2: 高橋ちはる Alto 3: 入澤希誉
Tenor 1: 初谷敬史 Tenor 2: 大谷友也 Tenor 3: 清見卓
Bass 1: 小野慶介 Bass 2: 松井永太郎 Bass 3: 河野陽介
      

<初演時に配布されたパンフレットの原稿>

そもそも私には、2004年に12のチェロのために作曲した「12人のイカレたチェリスト」なる作品がある。この題名は、言うまでもなく、1957年のアメリカ映画「12人の怒れる男」(元は1954年のTVドラマ)を下敷きにしたもので、「怒れる」を「イカレた」としたことで、病的に誇張された12通りの楽想を12人のチェリストがそれぞれに演じ奏でていく作品となった。

このたび、基本編成が12名の歌手からなるヴォクスマーナからの委嘱を受けたことで、どうしても、このアイデアの、より一層「リアル」なヴァージョンを試みてみたいという欲求から離れられなかった。楽器ではなく声楽家が発話するわけだから、当然、12のキャラクターは更に現実味を帯びる。ここでは、演者が日本人であることから、アメリカ映画のそれよりも、三谷幸喜が日本版としてリメイクした1990年の演劇「12人の優しい日本人」(翌年映画化)を踏まえ、「優しい」ではなく「おかしな日本人」とした。(但し、作品のプロットは、全く関係ない。)

前作のチェロ版は、クレイジーな楽想を追求したが、今作では、むしろ、日常的に身近に存在する、「ちょっとおかしい」キャラクターをカリカチュアライズしたものとなっている。以下、12のキャラクターを登場順に簡略化して記す。
「歌のおにいさん」「主婦の井戸端会議」「迷子の男児(女声)」「病弱な老人」
「女子中学生風(男声)」「裏切られた女性」「笑い上戸の泥酔者」「訪問販売の女性」
「恐怖に震えている人」「過保護な母親」「不良少女」「政治家の演説」

そもそも、「普通」と「おかしい」の線引きには個人差があるだろう。自分は普通だ、と思っている人に限って、むしろ客観的にはおかしいということは、しばしば観察される。だから、ここで提示される12のキャラクターの中には、ともすれば「あ、これ、自分のことだ」というものがあるかもしれない。でも、気を悪くしないで頂きたい。人間誰しも、「おかしさ」を持っているのだから。

ところで、この作品は、コーダを除くほぼ全編がSprechstimmeによっているという意味で、恐らく、極めて異例な合唱作品と言えるだろう。シュプレヒシュティンメはシェーンベルクが開発したもので、語りでありながら、記譜された音程を(一瞬だけでも)とらねばならないという手法だが、日本語の発話は、比較的音程が明確であるため、記譜された音程通りに「語る」ことが可能である。人間の知覚は不思議なもので、「歌う」声を聴くと「音程」を認知する脳が作用するが、「語る」声を聴くと「言語中枢」のみが反応し、あまり音程を聴きとる耳にならない。しかし一旦、語りを音程のあるものとして認識しだすと、我々の言語コミュニケーションは「無調旋律」に溢れていることが判る。「語り」ばかりしか聞こえてこない本作品が、ともすれば音程が全く記譜されていないと誤解されるかもしれないので言明しておくと、ほぼ全ての発話の音程は、複雑なリズム記譜とともに五線に記譜されているのであり、単に「語る」のではない、大変高度なソルフェージュ能力が要求されている。

12のキャラクターがそれぞれ提示されると、何巡かするうちに次第に重なっていく。つまり、他のキャラクターを模倣して演じていくことになる。発話は断片化し、最終的には、全員が瞬時に12のキャラクターを演じ分けていくに至る。全てのキャラクターは個別のテンポを持っているので、ここでは、拍子のみならず、テンポも瞬時に変化するという、究極のアンサンブルが展開する。

各人が高度なソルフェージュ能力を持ち、且つ、芸達者な役者でもあり、更に、精密なアンサンブル技術が求められるとなれば、この作品が、ヴォクスマーナを強く想定していることが明らかであろう。しかも、それぞれのキャラクターもある程度まで想定すべく、事前に何度か皆さんと飲んだりしたのだが、さて、果たして、成果があったのかどうか・・・。
 (更に詳しい解説はこちら↓をご覧下さい。)


<より詳しい解説、というよりは、補遺>

【上記内容をお読みの上、補遺としてご覧下さい。】

本作における12のキャラクターの一覧(登場順)

パート キャラクター テンポ
 Tenor 3  教育番組における「歌のおにいさん」。明るく元気よく、明瞭且つ大げさに。 96
 Alto 2  主婦の井戸端会議。愚痴っぽく、声を潜めるようでいてよく通る声で。 56
 Soprano 1  男児。迷子でべそをかいている。アニメ声優のように、頭声域でかわいく。 120
 Bass 2  病弱な老人。しわがれ声で、咳き込み、呻きながら。 48
 Tenor 1  女子中学生(を演じる異性装者)。いわゆる「萌えキャラ」的に。清純(を装う)。 138
 Soprano 3  交際相手に裏切られた女性。声を震わせて、怨念をこめて。 40
 Bass 1  泥酔して笑い上戸になっているサラリーマンが通行人にからんでいる。呂律が回っていない。 63
 Alto 1  訪問販売の女性。早口で滑舌よく、強引に、オーバーな相槌を打つ。 152
 Tenor 2  恐怖に慄き、怯えている。体や歯は震え、どもる。 44
 Soprano 2  過保護な母親。自堕落な息子(実は30代ニート)を、叱っているようでいて、とても甘々。 84
 Alto 3  男子顔負けの不良少女。万引きで捕まっていて、しらばっくれようとしている。 104
 Bass 3  政治家の演説。偉ぶって、力をこめて語るが、内容はほとんど無い。 92

このように、全てのキャラクターはテンポ、リズム感の様相等が異なるものとして設定されているが、最初の登場シーンは、全て計算上、20秒間ずつで書かれている。2巡目は10秒ずつに半減、3巡目は更に半減、と進んでいく。
2巡目からは、隣接するパートを巻き込んで2人ずつとなり、2巡目途中から3巡目にかけて3人ずつ、即ち声部単位のまとまりとなる。3巡目の間に更に人数を増やし、4巡目は男声、女声、6名ずつの単位で男女の掛け合いとなる。5巡目は更に人数を増やし、6巡目は、12名全員によって、一瞬ずつに断片化された12のキャラクターをめまぐるしく交替させていくことになる。

この作品の最終部分は、冒頭のセリフを「合唱」する。ここまで、全てシュプレヒシュティンメで通してきたにも関わらず、最後の最後だけ、「歌う」のである。ヴィブラートをかけ、カンタービレで、壮大なコーラスを奏でる。通常の合唱の演奏会であれば、この部分こそが最も「普通」に映じるであろう。しかし、この作品を聴き通した挙句にこのように「合唱」されると、こうやって日本語の発話を合唱することこそが、最も「おかしい」ものとして映じるのではなかろうか。最も「普通」なことが最も「おかしい」ものとして映じるという、逆説的な状況を提示して、この作品は終わる。
(なお、この作品内部のみならず、当夜のヴォクスマーナ公演全体の中でも、このように「普通」に「合唱」が行われる瞬間は、皆無だとのこと。)

全くの別件ながら、これが初演される日の前日に、全く別の作品《ASPL ~正倉院復元楽器による「遊び」》が初演された。2日連続で新作初演が続くという、自分の中では異例な事態となったが、これら2つの曲は、記譜という観点では興味深い対照をなしている。本作品は、全面的にシュプレヒシュティンメで演奏されるのだが、全て五線譜に厳密な音程やリズムを記譜している。あたかもしゃべっているかのような演奏をきいて、多くの人は、音程が記譜されているとは気付かないかもしれない。逆に、《ASPL》の方は、全てが音律楽器によっているにも関わらず、全てが一線譜に記譜されている。つまり、音程は任意である。しかし恐らく、演奏結果をきくと、五線に記譜されていないわけがない、と聴こえるであろう。聞いた印象と記譜の実際が、それぞれの曲で、真逆の結果となるのである。

なお、この作品の下敷きになった作品としては、「12人のイカレたチェリスト」以外に、「インヴェンション III」がある。ここでは、様々な発話の状況を独りの発話によって切り替えて行き、それを楽器がフォロウする、という関係になっていた。日本語の発話をどうにかして五線記譜しなければならない、という試みは、このときに端を発する。また、この「インヴェンション III」の終盤で登場する政治家の演説ネタは、そっくりそのまま、本作の12番目のキャラクターに転用している。恐らく、語っている本人が「おかしい」という自覚がない可能性が最も高いキャラクターである。

この、荒唐無稽な作品の構想、本当に合唱という編成で実現するのだろうか、という疑問は、書きながら常に心配のタネであったが、それが全くの杞憂であったことを付言しておく。最初に練習に立ち会った時点で、ヴォクスマーナの皆さんは、既に、「なりきって」これらの役を演じていたのである。






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