◆Oboissimo (2013)  

<初演>2013年1月18日(金) ザ・フェニックスホール(大阪)  
           1月22日(火) オペラシティ リサイタルホール(東京)
      
      B→C 大島弥州夫オーボエリサイタル 大阪公演 東京公演
      
      オーボエ:大島弥州夫 ハープ:内田奈織 ピアノ:大堀晴津子

<初演時に配布されたパンフレットの原稿>

 2001年に、宮本文昭氏率いるオーボエ合奏(蠣崎耕三、小林裕、広田智之、古部賢一、渡辺克也、及び10名の若手奏者)のライヴのために《クープランの墓》等を編曲した。それは今もライヴCD《オーボイッシモ!》として販売されている。宮本氏が指揮者に転じた今となっては再現不能な貴重な経験であり、私にとっての「オーボエ原体験」がそこにある。私にとってオーボエ主体の作品を書く初の機会となる今回、原体験を想起せずにはいられなかった。題名をそのまま拝借し、宮本氏、広田氏、古部氏の薫陶を受けた大島氏の演奏に、あの情景の再来を夢想した。
 《クープランの墓》をはじめとする、オーボエのために書かれた様々なヴィルトゥオーゾ・パッセージ(とその変容)が走馬灯のように駆け巡る。私としては、これまでにも実践してきた書法である。しかし今回、「ピアノとハープを伴う」という、恐らく前例のない特殊な編成のオーダーを受けたことにより、ピアノ伴奏によるヴィルトゥオーゾ・セクションに、ハープ伴奏によるカンタービレ・セクションが介入する、という二重構造を持つこととなった。その結果、技巧性では緩和された面もあるが、ある種の難しさは更に増したのではないかと思う。
 (使用楽曲一覧等、詳細はこちら↓をご覧下さい)


<使用楽曲一覧等、詳細 (より詳しい解説)>

 1998年に大学院を修了してすぐに非常勤で赴任したのが大阪音楽大学であった私にとって、2000年に大阪音楽大学を首席で卒業した大島さんとの最初の出会いは、大学の学生の演奏審査等の場であった。たいして年齢差は無いはずだが、最初から「教員と学生」として出会ってしまったわけである。(彼の学年のオーボエ専攻は大変に優秀だったのだが、その中で首席を射止めた彼の演奏はその頃から光るものがあった。)その後、いずみシンフォニエッタ大阪でご一緒するようになってからは、もちろんそのような「教員と学生」という意識は(少なくともこちらには)ないのだが、今回の委嘱作品が、あたかも「オケスタ特訓課題」のようになってしまったのは、ともすれば、この出会いが遠因となっているのかもしれない。
 
 使用している楽曲は次の通りであり、◆はピアノ伴奏、★はハープ伴奏となっている。技巧的音型主体のピアノ伴奏部分は、原曲から逸脱して変容するが、ハープ伴奏の場合は原曲に忠実に歌う。つまり、現代的に遊びを交えたピアノ伴奏部分に対して、原曲通りを貫くハープが割って入るような構造となる。★の割合を見れは一目瞭然なように、ハープの登場割合は後半に進むにつれ増していく。ただし、当初、ハープのみで伴奏していたのが、徐々にピアノも参加するようになっていく。そのように、ピアノとハープに敷かれた条件設定の境界は進むにつれ曖昧となり、(24)のシュトラウスの協奏曲に至っては、ピアノ伴奏部分であるにも関わらず「逸脱して変容する」ということなしに原曲に忠実に進行する。

◆1) ラヴェル「クープランの墓」第1曲「プレリュード」冒頭
◆2) ファリャ「火祭りの踊り」(「恋は魔術師」より)冒頭
◆3) プロコフィエフ「ピーターと狼」の「アヒル」
◆4) J.S.バッハ「ブランデンブルグ協奏曲第2番」第1楽章
★5) リムスキー=コルサコフ「シェエラザード」第2楽章
◆6) ガーシュウィン「パリのアメリカ人」冒頭
◆7) マーラー「交響曲第4番」第1楽章
◆8) ロッシーニ「絹の梯子」序曲
★9) ボロディン「だったん人の踊り」(「イーゴリ公」より)の「娘たちの踊り」
◆10) レスピーギ「ローマの松」第1曲「ボルゲーゼ荘の松」
◆11) ストラヴィンスキー「プルチネルラ」第1曲「プレリュード(シンフォニア)」
    (原曲:ドメニコ・ガロ「2つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ第1番第1楽章」
★12) チャイコフスキー「白鳥の湖」より「第2幕の情景(第10曲)」
◆13) グリーグ「ピアノ協奏曲」第1楽章
◆14) ベルリオーズ「幻想交響曲」第5楽章「サバトの夜の夢」
★15) ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」
◆16) サン=サーンス「交響曲第3番《オルガン付》」第2楽章後半
◆17) モーツァルト「オーボエ協奏曲」第3楽章冒頭
★18) フォーレ「シシリエンヌ」(「ペレアスとメリザンド」より)
◆19) ブラームス「交響曲第3番」第3楽章
★20) ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」
◆21) シューマン「ピアノ協奏曲」第1楽章
◆22) マルチェロ「オーボエ協奏曲」第3楽章冒頭
★23) ビゼー「メヌエット」(「アルルの女」第2組曲より=「美しきパースの娘」第2幕の二重唱をギローが編曲)
◆24) R.シュトラウス「オーボエ協奏曲」第1楽章
◆25) ベートーヴェン「交響曲第5番」第1楽章

 (13)のグリーグ「ピアノ協奏曲」は、オーボエとピアノが同じ楽想で掛け合う仕掛けとなっていて、伴奏に徹するピアノが自己主張をする瞬間となっている。(21)のシューマン「ピアノ協奏曲」では、その前の「パヴァーヌ」に対してピアノがソロで割って入り、そこにオーボエが追従してユニゾンで参加するが、「なんでピアノ協奏曲をここでやんなきゃならないの!」とばかりにマルチェロの「オーボエ協奏曲」に転じる。
 (24)のR.シュトラウスから(25)のベートーヴェンにつながる流れは、シュトラウスが「メタモルフォーゼン」の最後でベートーヴェンの引用を行っていることを意識している。
 ここでのピアノとハープの関係にみられるように、現代的書法と古典音楽そのものとの対比の構図は、私の作品「フルート協奏曲」(1999)におけるcond.actor(現代的書法)とフルーティスト(モーツァルトを吹く)との関係と共通する。そしてそこで用いていたモーツァルトの「フルート協奏曲」第2番は、ご承知の通り、今回の作品で引用している「オーボエ協奏曲」と同一楽曲である。その、私の「フルート協奏曲」の室内管弦楽版(2004)では、今回「Oboissimo」で引用した箇所と同じ部分をフルーティストが吹きながら、その他の奏者を引き連れていくという展開が仕掛けられていたが、その際、大島氏は「引き連れられていく」側のパートとしてその作品の上演に参加していた。それと同じ部分を今回の「Oboissimo」にも用いたことには、そのような背景もある。

 2巡目は、上記の流れを短くして進めるだけである。
 3巡目は、更に短くなるが、同時に、それまで参加していなかった部分にハープが介入する。
 4巡目は、楽想を認知できる最短断片になる。ピアノもハープも、ほぼ全ての断片に参加する。
 (なお、(20)のラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、最後の4巡目で、それまでに引用していた場所とは異なる、ハープが最も活躍する部分に引用個所が入れ替わっている。)

 2巡目以後、最も原型をとどめないかたちで進行するのは(16)のサン=サーンスである。これは、サン=サーンス自身が、「動物の謝肉祭」で皮肉のきいた引用を行っていることと無関係ではない。
 最後に設定されている(25)のベートーヴェンのカデンツァ風ソロは、このようにして繰り返すたびに、当初、アダージョで演奏されていたものが徐々に速度を増していき、4巡を終えた最後は、このフレーズによる変容が急速に展開してコーダに入る。

 コーダに設定されたのは、ラヴェルの(両手の)「ピアノ協奏曲」第1楽章である。オーボエ・ハープ・ピアノ、いずれにも特徴的なソロが登場する数少ない楽曲例ということで選択したが、オーボエパートは、オクターヴスキップをしながら半音階を上行する有名なソロと、その前にある、ピアノソロにつながる部分のソロという、2つのヴァージョンを用意している。前者を選択するなら、ここまで吹き倒して、更にダメ押し的なコーダとなる。当日のコンディション等によって、どちらで終了しても良い。(初演は、その両方を折衷した案となった。それも可能である。)

 本編中でも、一見「1作曲家ごとに1楽曲」に見える中、ラヴェルは唯一、「クープランの墓」と「亡き王女のためのパヴァーヌ」の2曲が登場している。なぜこのように「ラヴェル押し」なのかといえば、もちろん、ラヴェルがオーボエのために様々な名楽想を書き残している(これでも苦渋の判断で沢山の候補を削除せざるを得なかった)からに他ならないが、更に、この作品を構想していた2012年は、ラヴェルの没後75年でもあったためである。2012年のうちに作曲を完了したかったのだが、それが叶わず、辻褄が合わなくなってしまった。(なお、2013年に生誕200年を迎えたヴァーグナーとヴェルディが使用楽曲に1曲も入らなかったのも、構想が2012年だったためである。)

 なお、このようなアイデアによる楽曲を、2012年にトランペットとヴァイオリン、ピアノの三重奏曲「トランペット協奏曲」として作曲している。そこでは、原則的にヴァイオリンとピアノはトランペットに完全に同期し、和声的関係を示すのみであった。この作品では、より一層、原曲の持つ対位的関係や和声的構造に準拠した、一般的な意味での「伴奏」が多く採用されている。結果的に、とりわけ前半は、一般的な意味での「名曲メドレー」の様相を呈している。しかしここで重要なのは、それぞれの楽想が転換する際に生ずる、異なる演奏行為の連接である。とりわけ、2巡、3巡と進むにつれ、瞬時に行為がスイッチするような状態に至ると、演奏者のアクションそのものの変化を聴衆は共有体験することとなる。(このときの体感を、私は「アクション・ミュージック」と呼んでいる。)
 なお、このような、演奏行為の連接というアイデアそのものは、私の作品ではしばしば実践されてきたが、ここまで名曲断片ばかりを用いた例は、「Manic-Depressive III」(1999)という、2台のピアノと管弦楽の作品の第1楽章「Manic」において実践していただけであった。しかし、前述の「トランペット協奏曲」(2012)で室内楽による初の実践を行い、この作品は室内楽の2例目となる。それまではアクロバティックな行為性を重視することで「アクション」を強調してきたが、ここではカンタービレな楽想も導入することで、むしろスイッチの振幅が大きくなっている。例えば、素速い音型の最後の音が、次ののびやかな旋律の冒頭の音になっている、といった「のりしろ」の部分によって、音楽性を180度交替しなければならない。その振幅の大きさを体感することが、ここでの「アクション・ミュージック」の新たなねらいとなっている。






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