◆100,000年後のチェロ (2012)  

<初演>2012年1月19日(木) 東京オペラシティ・リサイタルホール
      日本の作曲家2012 第1夜
      
      チェロ:多井智紀

<初演時に配布されたパンフレットの原稿>

2009年の90分を要する作品《孤島のチェロ》は、漂着したチェロを、それについて知見が全くない人物が奏でたらどのような音楽になるか、という夢想だった。
今回は、遠い未来に、もしもチェロがまだ存在するとしたら何が奏でられているだろうか、というシミュレーション。そもそも、人類が生き永らえているかどうかもわからない未来なぞ、前作と同様、夢想の域を出ないわけだが。
(より詳しい解説はこちら↓)


<より詳しい解説>

多井智紀とのコラボレーションによって実現した、《孤島のチェロ》(2009)は、90分を要し、美術や音響、舞台道具等も用いる長大かつ壮大なものだった。公演詳細
漂着したチェロを、それについて知見が全くない人物が奏でたらどのような音楽になるか、という夢想により、チェロという楽器を一瞬たりとて伝統的に扱わないスタンスで貫かれていた。

今回は、10万年後という遠い未来に、もしもチェロがまだ存在するとしたら、いったい何が奏でられているだろうか、というシミュレーションであるが、孤島への漂着、という設定と、10万年後の未来、という設定の、どちらの方が、よりリアリスティックなのかはわからない。そもそも、そのような未来を語るのは、馬鹿げているし、これは未来予測という資格を有さない。現在生きている誰にも、そのような未来は確認できないのだから。

ここでのチェロ(チェロそのものはまだ存在し続けているという設定)は、四方から各弦(ブリッジ)に延びるワイヤー等によって吊られている。つまり、事実上の8弦楽器となっている。
演奏には、主として「棒」を用いる。この棒には、リズムが刻みこまれている。あるリズムを奏でるに際し、腕の上下運動ではなく、棒に刻まれた溝(或いは棒から突き出した突起物)を弦上に滑走させることで実行する。このように、これまでの「記譜」されたリズムを「演奏」するという発想ではなく、磁気テープのように、「刻まれたリズム」を滑らせることが、音楽の記録となっている、という発想は、今回の演奏者、多井智紀氏の発案によるものであり、また、演奏には、彼自身が作成した「棒」が用いられている。
この手法の最大の特徴は、いかなる複雑なリズムをも、容易に(高速で)達成することにある。主として、誰もが知る著名なリズム構造と、もう一つ、複雑なリズムが用いられているが、この複雑なリズムは、私の作品からの引用となっている。(リンク先にリズム型も記載されている。)
このように、チェロは、構造的にも、演奏法的にも、最早チェロではないが、しかし、21世紀までのチェロに対する憧憬と朧げな記憶、そして残像としての20世紀音楽の記録が奏でられることで、10万年という時空を超えた世界観が示される。

題名の「10万年後」というのは、ドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」に由来する。核廃棄物は10万年先の未来まで(一説によれば100万年)、その処理が完了しない。そのような物質を作り出さねば―つまり、10万年後の子孫にまでその後始末を押し付け、そして、それを生み出すためのリスクを、過疎地と下請け作業員に押し付けなければ―現在の生活が成立しないのだとすれば、我々は、そのようにエゴイスティックに生きるべきではないだろう。フィンランドで建設されているオンカロという、世界初の地下核処理施設では、現在の人類と同一の言語を用いているとは限らない知的生命に対しても理解可能なように、図案化した記号を用いているという。誰がそんな未来を保証するというのだろう。少なくとも、私の夢想を笑う者は、かようなことをしてまでウランやプルトニウムを燃やす、原子力発電をこそ笑うべきである。






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