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<初演>1988年6月 桐朋中学・高等学校 中庭 (学園祭のオープニング楽曲として上演) |
<2010年、22年ぶりの再演における、当日のパンフレット原稿(《吹奏楽のための協奏曲》(2010)と併せての解説)> 企画者が私の作品に興味を持って下さり、私の吹奏楽作品を上演すべく作品表を確認したところ、随分と昔の作品を発掘して頂いたようで、なんと16歳のときに書いた《ファンファーレ'88》(所属していた吹奏楽部により初演した学園祭テーマ曲。1984年のジョン・ウィリアムズ《オリンピック・ファンファーレ》の影響を多分に受けている)を上演したいとのたまう。私は普段、吹奏楽界には縁遠いので、そのような若書きの作品のみを上演したのでは様々な意味で誤解を招くと思い、せめて本格的な創作活動を始めて以後の作品とのカップリングをと考えるも、近作の吹奏楽作品は所要時間が長いため断念。ならば、1997年に作曲した《10管楽器のための協奏曲》(カメラータ長野委嘱作品、松下功指揮により初演。2007年に飯森範親指揮いずみシンフォニエッタ大阪により再演)の編成を拡大し、上演時間をコンパクトにまとめた編曲版を作成しようと考えた。今回上演する《吹奏楽のための協奏曲》は、そのような経緯で用意されたものだが、結果的に編曲というよりは新作の作曲に等しい作業となった。10名による原曲は、1名で最速パッセージ、2名でそれに準じるスピード…と人数加算ごとに速度が減じ、10名による最長音価のコラールまで都合10種類の楽案が提示され切迫していくアイデアだった。これを、1、2、3、5、8、13、21、34名という、フィボナッチ数列によって増加する人数に変更し、10種類あった音型を8種類にスリムアップした(なお、それぞれに異なる打楽器を付随させた)。これら8種の楽案はいずれも演奏至難なもので、吹奏楽表現の限界を指向している。10分程度あった原曲における様々な紆余曲折や仕掛けを排除し、徐々に切迫する仕立てのみを活かしつつ、最後に全てが融合してひとつの楽案となる過程を含めて5分半に収めることで、躁状態の体感というコンセプト一本に的を絞った全く別の作品が完成した。 |
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