<より詳しい解説>
私の作品には、「cond.act/konTakt/conte-raste」なる題名の作品がこれまでに4曲存在する。このシリーズでは、この英・独・仏語の洒落によってできた造語の題名に示される、複合的な意味(指揮・アクション/コンタクト・指揮棒/コント・コントラスト)をモチーフとしている他、「cond.actor」なるパートが存在し、指揮者であり且つ演者でもあるような、いわゆる「指揮パフォーマンス」を実践するものである。
実は、今回の委嘱の条件「子どものための、邦楽器を用いた作品」には、当初、とても困惑した。よく知られたお話に沿って邦楽器による伴奏音楽を、というアイデアぐらいしか、適切なものはなさそうである。(実際、この作品が初演される演奏会における当該セクションの他の演目の全てが、そのような内容となっている。)熟慮の末に思い至ったのが、上記の「cond.act/konTakt/conte-raste」のアイデアである。子どもたちに「cond.actor」になってもらい、邦楽器を操るという仕立ては、この委嘱条件を満たし、且つ、これまでの自作の延長にこの創作を位置付けられる、格好のアイデアであった。従って、題名は、そのまま「cond.act/konTakt/conte-raste
V 」としてもよかったのだが、いかんせん、子ども対象のコンサートでこのような難解な造語を掲げるのはナンセンスである。そもそも、これまでのこのシリーズの作品が比較的「指揮」的な行為を軸に書かれていたのに対し、今回の作品は、指揮法を学んだ経験のない中学生に演じてもらうということもあり、ここでのアクションは「指揮」というカテゴリーには入らない種類のものが殆どである。むしろ「手振り」とでも称した方が適切かもしれない。そこで、メインの題名を「手振りの遊び」とした。「遊び」という語は、周知の通り、古典にあっては「管絃の遊び」を意味する。現代における「遊び」の意味に加え、古語の意味も重ねると、この作品の仕立てに見事に合致する。
6名ずつの奏者と演者(cond.actor)は、全曲を通じて、終始同じコンビネーションで一貫している。舞台下手側より、十七絃、十三絃、三絃、尺八、篠笛、締太鼓の順に横一列で並んだ6名の邦楽器奏者の前方に、それぞれの「操作」を担当する演者が(客席側を向いて)立ち、次々に3種類ずつ(合計18種類)の「合図=手振り」を試みていく。それぞれの合図は、およそ次のような奏法を指示する動きとなっている。また、表の右に記載したように、それぞれは異なるキャラクタライズが施されている。(ここでの記載順は、舞台上手側からとなっている。)
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奏法A |
奏法B |
奏法C |
キャラクター |
締太鼓 |
ツクツク(トレモロ) |
リズミックなアドリブ |
タタン、と決める |
中性的で童心的、かわいらしく |
篠笛 |
高音(ヒシギのように) |
中音域のヒャラ音型 |
低音域のユリ |
軽快で、楽しい性格 |
尺八 |
ムラ息による強奏 |
コロコロ、カラカラ |
低音域のまわしユリ |
神妙、巫女的な性格 |
三絃 |
重絃の連打 |
スリバチとアタック |
アルペジョで下行gliss. |
激しく、荒々しい性格 |
十三絃 |
中音域の押し |
裏連、流し爪 |
低音域の散らし爪 |
古風な日本女性、淑やかな性格 |
十七絃 |
無調音のgliss. |
摺り爪 |
低音域を掌で強く打つ |
暗く、内に秘めたものがあるように |
それぞれが合図を「試み」た結果、意のままに動くオモチャに味をしめ、「遊び」に興じるようになる。しかし、6名が思い思いに操りだすと、徐々に収拾がつかなくなっていく。篠笛の高音が統括役を担っているが、それも無効になると、完全に錯綜としていく。支離滅裂となり、遂に演者も疲れ果てて全員倒れてしまう。すると、操られていたはずの演者は、今度は楽器の音に従って動きだす。今度は逆に、楽器に演者が操られる立場になってしまうのである。(このような展開は、「cond.act/konTakt/conte-raste
IV」の最終部分において既に実践していた。今回の作品は、いわば、この前作のラストのアイデアを拡張したものである。)
逆に操り人形と化した演者たちは、楽器の演奏がヒートアップするのに合わせて必死に「手振り」を実践するが、しかし再び果ててしまう。今一度、手振りを試みるが……。
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