◆尺八(五孔一尺八寸管)のためのエチュード (2010) Etude for Shakuhachi (with five holes, one shaku eight sun)
  

<初演>2010年8月28日(土) サントリーホール・ブルーローズ
      サントリー芸術財団サマーフェスティヴァル2010 MUSIC TODAY 21
      芥川作曲賞創設20周年記念 ガラ・コンサート「室内楽 I」 第1回~第9回受賞者の独奏曲
      尺八:藤原道山

<初演時に配布されたパンフレットの原稿>

 イケメン尺八奏者として八面六臂の活躍ぶり(本日もサントリー大ホール昼夜2公演の合間を縫ってのご出演!)である藤原道山氏には、現代音楽のイメージは少ないかもしれないが、大学時代の彼は、自ら学生を集めて廣瀬量平氏の尺八協奏曲を上演したりと現代音楽にも積極的で、私を含む作曲科学生とも密に交流をもっていた。(雅楽の授業履修生による合宿も一緒に行ったし、楽理科を中心とする副科オケで自作を発表した際にはフルートを吹いてもらったりもした。)その後も、自作のアンサンブル作品を演奏してもらったり、私が企画する演奏会で西村朗氏の作品を演奏してもらったりと、それなりにお付合いは続いていたのだが、彼のために本格的な無伴奏作品を作曲する機会はなかなか持てずにいた。本日は、かねてよりの悲願が成就する。……と、経緯を書いたら紙幅が尽きてしまった。作品内容についての詳細は、こちら(当ページ)を御覧下さい。


<より詳しい解説、というより、上記の続き。>

 藤原道山氏と私は、東京藝術大学時代に同期だった。在学中から卒業後にかけて、上記のように様々な機会でご一緒することはあったのだが、独奏曲を作曲する機会をもてずにいた。2008年の春に、珍しく藤原氏が全曲現代作品によるリサイタルを開催した折に、妻の新作(尺八、ギター、チェロのトリオ「畸班」)があり、その終演後のパーティーで同席した際に、近い将来、必ずソロを書くからね、と約束していたところ、芥川作曲賞20周年記念ガラコンサートという企画の話(全受賞者が、それぞれ独奏曲を出品する)が起こり、絶好の機会と考えたのである。しかし彼は、周知の通り大変に多忙である。そこで彼のスケジュールを調べてみたところ、何と、同日に、同じサントリーホールの大ホールで、マチネ・ソワレの2公演に出演予定とのこと。それなら、逆に、合間を縫ってソロ1曲を吹いてもらう程度なら、むしろ参加してもらい易いのではないか……ということで、実現することとなった。コンサートの時間帯がうまくズレているなど、様々な偶然が重なってのこの機会なのである。
 今、日本で尺八奏者と言えば、認知度としてはまず彼が筆頭に挙がることは間違いない。しかし、私見では、彼は、知名度だけではなく、技術、実力、音楽性の面でも、日本一(ということは、即ち世界一)の奏者であると考える。そのような彼のために書くのであるから、当然、彼のその傑出した音楽性を想定して作曲した。
 また、藤原氏は、いかなる場合にも、五孔の楽器を用いて演奏する。彼は、尺八本曲や伝統音楽のみならず、ポップな領域にも表現の幅を拡げているが、そのような場合(とりわけ、西洋的な調性をベースとした音楽)や、複雑な現代作品の上演に際しては、普通は、伝統的な五孔の楽器ではなく、七孔(或いは九孔)の楽器を用いて演奏することが多い。しかしいずれの場合にも、藤原氏は、頑なに五孔にこだわっているのである。尺八は、「一音成仏」という言葉に代表されるように、音そのものの、音色の推移や質感を聴くことが大切である。20世紀になってようやく世界の現代音楽の現場でこのような表現が注目されることとなった(事実、フルート等、管楽器の特殊奏法の殆どは、尺八が既に具えていた奏法である)が、日本が世界に数百年先駆けて実践していたこのような音楽性を、現代の日本人の多くは失ってしまっているのではなかろうか。そのことを啓発するためにも、彼は、メディアでポップな音楽を演奏するにせよ、常に、五孔の楽器による繊細な表現を心がけているのである。
 私が今回取り組んだ作品も、この、五孔しか存在しない、最も伝統的な楽器のために書かれている。五孔しかないということは、基本的には五音音階しか出せない楽器、ということになる。もちろん、微妙に工夫された運指を用いることで、12半音階や更に微妙な音程をも表現可能であるが、そのような音高の表現には、常に、いわゆる「首ふり」の技術を伴う。この作品では、このように、演奏上、必然的に生じる様々なアクションが構築されている。ここで展開する様々なアクションは、しかし、殊更に「特殊」なものではない。尺八の伝統奏法において既に見られるものばかりである。従って、むしろ伝統音楽に馴染みのある向きには、この作品はとても「普通」に映ることであろう。
 ここで用いられている14種類の楽想は、次のようになっている。

(1)最高音域の鋭く強い音 (2)縦揺りによる揺動音型 (3)コロコロ、カラカラ (4)メリからのポルタメント
(5)連打音 (6)そらねによる低く鋭い音 (7)トリルやトレモロとこぶしの融合 (8)大きな跳躍を伴う音型
(9)重音奏法 (10)メリのみのモードの弱音による継続を基本音の強奏により遮断 (11)なやしを常に伴う音型
(12)ムラ息の応用としての倍音奏法 (13)非常に複雑なレガート音型 (14)たまねの持続をまわし揺り

 これらのアクションによる各楽想は、徐々に短くなり、最後は瞬間的に転換していく。このとき聴き手は、演奏者の行為に肉薄し、恰も自らが演奏しているかのような体感に至るであろう……という構成は、私が様々な作品で実践しているものだが、しかし、このようなフォーマットを敢えて五孔の尺八で実践することで、いつも以上に、通常の演奏行為に内在するアクションを浮き彫りにすることができたと考えている。





<自筆原稿 6ページ目(全7ページ)>

上演予定 経歴 作品表  テキスト

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