◆Dual Personality I (1996)  

<初演>1996年10月22日(火) 東京芸術劇場 大ホール
      第65回日本音楽コンクール本選会      
      打楽器:神田佳子 山下一史指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
      *第2位、及びE.ナカミチ賞受賞。この演奏はその後、NHK-FM、NHK-衛星第2放送等で放送された。

<再演1>1997年8月31日(日)サントリーホール 大ホール
      第7回芥川作曲賞選考演奏会
      打楽器:神田佳子 小松一彦指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
      *第7回芥川作曲賞受賞。この演奏はその後、NHK-FMで放送され、ライヴ音源をCD(下記)に収録。

<再演2>2012年10月30日(火)文京シビックホール 大ホール
      アジア音楽祭2012 オーケストラコンサート 《指揮者は作曲家 III 》
      打楽器:神田佳子 川島素晴指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
<CD>川島素晴作品集「ACTION MUSIC」(FONTEC FOCD2548)に、上記1997年のライヴ音源を収録。
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<楽譜>サントリー音楽財団助成により日本作曲家協議会より出版(S-9701) 出版作品リスト

<2012年10月30日、アジア音楽祭2012での3度目の上演時に配布されたパンフレットの原稿>

 独奏打楽器奏者はマリンバとドラを交互に演奏、異なる人格を象徴する。管弦楽は、線的構造に徹するマリンバに対して同期しながら和声的構造を示す高音群、様々な奏法で多様な音色を奏でるドラに対して音響転写をしつつ体位的関係を示す低音群に分割される。マリンバとドラの演奏が交錯するカデンツァを経て、その後2群の管弦楽も交錯し、2つの「人格」は撹拌され統合される。1997年芥川作曲賞受賞作品。より詳しい解説はこちら

<1997年の再演時、芥川作曲賞選考演奏会に際して配布されたパンフレットの原稿>

 題名の「二重人格」に明白なように、2つの異なる人格が交互に現れ遂に統合してしまうという簡明な喩えによって、曲全体は成る。打楽器独奏者は、マリンバとドラにより、異なる2種類の音楽を交互に奏することでそのプロットを示す。それに対してオーケストラは2群に分かれ、下記の方法で反応する。

〔 I 〕 マリンバは、音高連鎖による線的構造を扱う。音程関係を種々の方法によって構造化する場合(音程思考)と、調性的な方法で構造化する場合(調的思考)の間の階層を往き来する。それに付随する第1オーケストラは、和声的関係〔ユニゾン―協和音―不協和音〕の階層を示すべく、マリンバの音型と純ホモフォニックに同期する。

〔 II 〕 ドラは、音色の関係によるリズム構造を扱う。音響学的性質を判別・分類することで、リズムを形成する声部がグルーピングされる。第2オーケストラは、同じ視点により模倣声部を形成すること(様々なドラの音を如何に転写するかが課題)を主として、ドラとのポリフォニックな関係(カノン等はもとより、エコー、ホケット等も含める)を示す。

 これら2つの音楽的対比は、古典派のロンドに於けるような音楽素材の対比なのではなく、音楽体験上の視点(即ち、音高の構造を聴出そうとする視点と、音色・リズムの構造を聴出そうとする視点)の対比である。従って、〔 I 〕 〔 II 〕 〔 I 〕 〔 II 〕…という具合に極めて単純に視点は入替わるが、それぞれの音楽が再び現れても、それは以前のものとは素材を共有していない(再現部である曲の後半は、その限りではない)。また、変奏や発展などの有機的関係も、殆ど存在しない。

 これら2つの一見無関係な音楽は、交代頻度を増していくことで徐々にオーヴァーラップされ、混沌となる。続いて、超絶技巧を要求される打楽器独奏によるモノローグ(カデンツァと言って差支えない)を通じ、2つの視点の同時的存在(構造視点そのもののポリ化)に到る。続く後半は、所謂再現が行われるが、しかし、元来 〔 I 〕 であった部分には 〔 II 〕 が、また 〔 II 〕 であった部分には 〔 I 〕 が、それぞれ介入することで、やはり構造視点のポリ化が起こる。相互浸食の果てに再度錯綜となり、視点そのものが崩壊していく。それがD音の連打と共に収斂されると、2つの視点は統合され全員でコーダを奏する。その残響を聴きながら、最後に、更に違った次元の「視点」へ…。

 こうした全体構成は、然し乍ら、私の音楽的関心の一部に過ぎない。むしろ細部をどう書くかが、主たる課題であった。各視点の定義とそれに基づく音楽は、上記の晦渋な文章とは裏腹に「如何に愉快な時間体験を齎し得るか」という前提のみが意識された結果のものである。目差すべきは「楽しめる音楽」というのが、私の創作上の信条なのである。

<2012年付記>

 「Dual Personality (二重人格)」という呼称は、現在の精神医学では用いられない。「Dissociative Identity Disorder (解離性同一性障害)」が正しい呼称となる。1994年にアメリカで呼称変更がなされ、その後日本にも浸透した。この呼称変更が一般的になる経緯の途上であった作曲当時は、不明にもそのことに知見がなく、従来用いられてきた「Dual Personality」という名称を用いた。既に用語変更が一般的となった2012年時点での再演にあたり、現在は使用されない用語を踏襲せず、改称すべきか否か悩んだ。
 しかし、この作品そのものは明白に「デュアル」な構造であり、「パーソナリティー」という語も、楽想=音楽的性格、即ち「キャラクター」といった解釈をするなら、純粋に音楽的な意味を示すものと考えられる。
 現在は使用されなくなったこの語であるからこそ、むしろこの題名が、精神医学の比喩から離れ、純粋に音楽的構造を示すものとなった、とも考えられるわけで、作曲から16年の歳月により、むしろそのことを是とする方向で心境が変化した。従って、この作品の題名を変更することはしないし、それにより、むしろ精神医学の用語としてではなく、一般的な意味での「デュアル」な「パーソナリティー」と考えられたい。

 なお、この作品が初演されたのは、1996年の日本音楽コンクール本選会であるが、そのときにご一緒した西田直嗣氏も、この2012年の同じ演奏会で、1996年のコンクールに出品した作品を再演にかけている。つまり、16年前と同じ状況が再現されたことになる。下記、1996年のコンクールのパンフレット画像の通り、演奏順は、私の作品が1曲目、西田氏の作品が2曲目であった。そして今回、2012年の再演機会もまた、そのように、私が1曲目、西田氏が2曲目であった。(そして、初演時のオーケストラも、今回のオーケストラも、東京フィルハーモニー交響楽団である。)
 西田氏と私は、この機会に出品すること自体についても、どの作品を出品するかについても、何ら事前の打ち合わせをしていなかった。そして私自身、なぜこの作品を(1997年の2回目の上演以来)15年ぶりに上演する気になったのか、そのときの心境を思い返すに、明確な理由を思い出せないでいる。(更に、私自身のことで言えば、この演奏会が開催された10月30日の4日前の26日に、日本音楽コンクール作曲部門の審査員を担当し、そのオーケストラも東京フィルハーモニー交響楽団であった。私自身、審査員は3度目になるが、管弦楽部門は初の審査となる。自分が16年前にコンテスタントだった作品を同じオーケストラで指揮をするその数日前に、自分が審査を担当することになるという因縁もある。)
 普段、超自然的・非科学的なことには無関心且つ一切信じない人種である自分であっても、この偶然の一致は、自分の意思を超えた何かに導かれたのではないかという気がしてならない。
 下記のパンフレット画像の3曲目、高橋東悟氏は、2012年1月4日、50歳の若さで亡くなられた。大学が同窓で同じアンサンブル団体の運営でもご一緒だった西田氏とはこのコンクール以前から親交があったが、高橋氏とは、このコンクールをきっかけに交流が始まった。奥様によれば、生前、このコンクールのことを折に触れ述懐なさり、このときの録音も大切になさっていたとのことで、出棺の音楽もこのときの「回遊―回帰」を流したとのこと。(更に、高橋氏の師匠の一人に、嶋津武仁氏がいるが、嶋津氏もまた、同じ演奏会で作品を出品していたのである。)
 今回、2012年の演奏会の曲目が決まったのは、3月末。私も、西田氏も、天国の高橋氏から、ちょっとした同窓会の誘いを受け、呼び寄せられたのではないか? …等と、考えたくなる程度に、不可思議な偶然である。


初演時パンフレット画像





上演予定 経歴 作品表  テキスト

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