◆篠田桃紅の絵と言葉による8つのエスキス『時のかたち』 (2005)
  Shape of Time ~8 sketches from paintings and words of Tohkoh Shinoda

(1) 1950年代の桃紅 『音』 (1954)  [fl, cl, pf]
(2) 桃紅のひとりごと-1  [sop, pf]
(3) 1960年代の桃紅 『緑』 (1965)  [fl]
(4) 1970年代の桃紅 『風雪』 (1970)  [sop, cl]
(5) 1980年代の桃紅 『結』 (1986)  [pf]
(6) 桃紅のひとりごと-2  [sop]
(7) 1990
年代の桃紅 『溌』 (1994)  [cl]
(8) 2000年代の桃紅 『熱望』 (2001)  [sop, fl, cl, pf]

<演奏所要時間>全8曲=33分
 (1)3分半 (2)4分半 (3)2分 (4)5分半 (5)2分半 (6)4分 (7)5分 (8)4分半

<委嘱>鍋屋バイテック会社
<初演>2005年10月2日(日) 岐阜・鍋屋バイテック会社ホール
      sop:太田真紀 fl:安田恭子 cl:菊地秀夫 pf:川島素晴     ★岐阜新聞の取材記事

<再演記録>2005年10月12日(水) イシモリホール 「Ground Two」
      第4曲『風雪』 sop:太田真紀 cl:菊地秀夫

<放送>・2005年11月27日(日)18:00-18:50
       NHK-FM「現代の音楽」~日本の作曲家/川島素晴(2)詳細情報+放送音源(モノ)>
       第8曲『熱望』 (初演時ライヴ音源)


<経緯>
 2004年に『室内管弦楽のためのエチュード』を、大野和士指揮新日本フィルで上演した際のこと。このときは、岐阜県サラマンカホールでの上演もあったのだが、その岐阜公演のときの聴衆の中に、鍋屋バイテック会社社長の岡本太一氏がいらっしゃっていた。社長は僕の作品を気に入って下さって、後日、わざわざサラマンカホールを通じて僕に連絡を入れて下さった。かくして、企業による作曲委嘱が実現するのだが、僕は、このような機会を大変光栄に思うと同時に、日本中の企業で、このようなことがなされればいいのにな、などとも思う。(ちなみにこの鍋屋さんは、世界的な取引をしている大きな企業なのだが、創業440年、鉄砲伝来の頃から鋳物を始めていたという驚異的な老舗で、だからこそ、昨今の買収劇にひっかからないように、敢えて株式上場をしていない。)この話の注目すべき点は、岡本社長個人の眼力のみで、僕のたった1曲を聴いてピンときて、話を持ちかけて下さったところである。こういう種類の委嘱はそれなりにあるのかもしれないが、そのほとんどは、知名度だけで選ぶか、何らかのつながりがあるか、経歴だけ見て曲も聴かずに判断するか、いずれかであろう。岡本社長は、純粋に、僕の作品を気に入って下さって、お声をかけて下さったのである。
 この岡本社長は、クラシック音楽(会社にホールを作ってしまった)、ワイン(会社にすごいコレクションがる)と、玄人はだしな趣味が多数あり、ことに絵画については、墨による抽象画の大家、篠田桃紅氏の作品の膨大なコレクションを誇る。
 篠田桃紅氏は、つい最近では、井上靖文化賞に決定するも、「これまで賞を辞退してきたので」ということで辞退したとのことがニュースになった。1956年という早い時期に渡米、墨による抽象表現を逸早く開拓し、前人未到の表現を獲得、世界的な評価を集めている。また、エッセイも各方面から評価が高い。この篠田氏の作品を最も所有しているのが岡本氏で、それは、地元の関市役所に貸与され、「篠田桃紅美術空間」というスペースにて常時入れ替えながら展示されている。
   ★篠田桃紅作品を見られるリンク 『豊』『詩』 『雪』『歓』 『月』 『秘抄』『在』 『白のために』『時間』 
                         『習作』『水』 『まつり』『火』 『少年』『かたちと線』
   ★篠田桃紅を知るのに最適な本『桃紅絵本』 (エッセイと絵・文字で構成されている。)
 岡本社長のオーダーは、この、篠田桃紅氏へのオマージュとしての作品を作曲して欲しい、というものであった。2005年4月3日、大阪への途上で岐阜に立ち寄り、上記「篠田桃紅美術空間」を見学。2005年6月には、篠田氏ご本人にも引き合わせて頂き、直接お話もした。当時92歳の篠田氏、とてもそのようなお年とは思えない、かくしゃくとした立ち居振る舞いと、明晰な頭脳(この日、僕と話した内容を、4ヶ月経過した10月に再会したときに、はっきりご記憶だったのには驚いた。僕の方が記憶力が弱いくらいかもしれない・・・)。さすが、今でも現役で旺盛な創作活動をしている人物である。
 その後の段取りは、副社長との連絡が主になる。実はこの会社の副社長である金田光夫氏もまた、クラシック音楽に造詣が深く、仕事で渡欧するたびにオーケストラのコンサートに通っているようで、偶然ご一緒だったアムステルダムでご馳走になったりと、たびたびお話してきたが、音楽談義が始まれば止まることがない。正直、コンサートホールとしてはもてあまし気味の会社のホールを、音楽ホールとして活用したい、という希望から、2005年以来、自主的な演奏会企画も始められている。何とも、すばらしい社長と副社長を持ったものである。金田さんからは今回の演奏会全体の企画も任せられたのだが、前半を20世紀音楽史を俯瞰する演目と桃紅作品とを重ね、後半は僕の作品、ということにした。
 8月中旬、演奏する菊地、安田夫妻も観光の途上で関市の美術空間を見学。翌日、入れ違いで僕と太田もここを見学。昼はおいしい蕎麦屋さんで岡本社長と会食。夜は、岐阜ルネサンスホテルに泊まることになっていて、近くの大変おいしい和食の店を紹介されて、岡本社長からのワインのプレゼントを手に、最高のコースを満喫した。この機会を経て、篠田作品のどれを題材に用いるのか、そして、どれを20世紀音楽史コーナーの曲とカップリングするのか、ということを最終的に詰める。7曲の20世紀作品に7点の絵を選び、新作は8曲中6曲が篠田作品のクロノロジーを追う仕立てで6作品を選んだ。
 そして10月。2日の演奏会に向け、僕と太田は前日から岐阜に入る。なんと、かの名調律師、瀬川宏さんがわざわざお越しで、スタインウェイを調律。僕なんぞが弾くというのに何とも勿体ない話である。その日の夜は、ホテルの店で、瀬川さん、金田さん、それからパンフレットを作成して頂いたりした河原さんと、僕と太田とで、飲んだ。瀬川さんからは大変貴重なお話を伺うことができた。菊地夫妻は、二人とも前日に本番があり、深夜に到着。
 翌朝は早くから会場に入る。ホールも美しいが、この会社は、本当にすばらしい建築で、建築の賞も受賞しているとか。こんな場所で作曲活動ができたらどれほどすばらしいだろう・・・。ホールに入ると、篠田作品13点が既に配置されている。関市の篠田桃紅美術空間の学芸員、中島さんには選定から配列まで、様々な段階でお世話になった。おかげで、美しい空間の中で演奏することができた。
 本番までは何かと慌しく過ぎ、控え室で控えている間に篠田桃紅氏は到着していたようだが、結局、開演前にはご挨拶がかなわなかった。そしていよいよ本番。開場時から、ワインとチーズ(どちらも高級品!)が振舞われるという楽しい会で、聴きなれないはずの20世紀音楽、そして新作ではあったが、皆さん、お楽しみ頂けたようだ。終演後は、わざわざ8月に紹介された蕎麦屋さんが、たまたま入荷したという天然舞茸の岩のような塊を持参して手打ち蕎麦と揚げたて天麩羅を調理するという手の込みよう。蕎麦の他、寿司やおいしいつまみ各種と上等のワインとを、地元の新聞各社からの取材攻勢をかいくぐりつつたらふく頂きながら、篠田桃紅さんとの歓談も叶い、この、楽しい初演の会を終えた。(篠田さんは、終始、立ったままお話なさっていた。椅子を勧めても座らないのである。恐れ入りました。。。)
 しかし、つくづく思う。鍋屋バイテックがすばらしいことはいわずもがなだが、こういうことに目を向ける企業や個人が、もっといないものだろうか・・・。これぞ、真の意味で需要と供給のベストな関係を前提とした、理想的な創作の現場なのではないだろうか。



<当日配布した解説>

「時のかたち」~現代音楽の50年、桃紅作品の100年~

この演奏会のタイトル『時のかたち』は、1992年に岐阜県美術館で開催された篠田桃紅作品個展のタイトルを拝借したものです。鍋屋バイテック会社の所有する篠田桃紅の作品13点と、20世紀の音楽7曲、及び篠田桃紅作品にインスパイアされて今年書き下ろされた新曲によって、篠田桃紅と現代の音楽、それぞれの『時のかたち』を表現しています。
1部は、20世紀の音楽史を順に辿ります。各楽曲には、それぞれイメージにあった篠田桃紅作品を選んであり、20世紀の音楽を篠田桃紅作品とともに鑑賞することで、普段聴き慣れない音世界も身近に感じることでしょう。
2部は、このほど、鍋屋バイテック会社の委嘱を受けて新たに作曲した新作の初演となります。ここでは反対に、篠田桃紅のクロノロジーを新しい音楽で綴ります。1950年代から2000年代までの各時代の作品から6点を選び、それぞれの作品に着想を得て作曲した6曲と、エッセイストとしても知られる篠田桃紅の美しい文章の数々からことばを選び、それに付曲した2曲の、計8つのエスキスからなります。
演奏は、作曲者が信頼する友人たち3名と、作曲者本人によって行います。作曲者の音楽を深く理解していることはもちろん、篠田桃紅作品についても深い共鳴をもって演奏が行われることでしょう。


=第1部=篠田桃紅作品とともに辿る、20世紀音楽史

*第1部については、ドビュッシーから武満までの7曲を選曲。(編成による制約と絵との相性、そして、現代音楽を聴き慣れない聴衆への配慮もあり、いわゆるスタンダードな音楽史俯瞰プロではないが。)それぞれに桃紅作品を合わせた。桃紅作品の力を借りてで、20世紀音楽への理解を深めてもらおうという趣旨。(この内容についてはここでは割愛し、下の方に一応掲載しておきます。)

=第2部=鍋屋バイテック会社委嘱による新曲とともに辿る、篠田桃紅の歩み

2部は、このほど、鍋屋バイテック会社の委嘱を受けて新たに作曲した新作の初演となります。ここでは、第1部とは反対に、篠田桃紅のクロノロジーを新しい音楽で綴ります。

川島素晴 / 篠田桃紅の絵と言葉による8つのエスキス『時のかたち』(2005)  [sop, fl, cl, pf]
1950年代から2000年代までの各時代の作品から6点を選び、それぞれの作品に着想を得て作曲した6曲と、エッセイストとしても知られる篠田桃紅の美しい文章の数々からことばを選び、それに付曲した2曲の、計8つのエスキス(素描)からなります。

(1) 1950年代の桃紅  『音』(1954)  [fl, cl, pf]
1956年に渡米する前の、まだ比較的「書」に近い作風の作品。この時期の描線は、「文字」の延長・変形である場合もありますが、ここでは、「音」という文字は認められず、もっぱら、イメージとして「音」が描かれています。この自由闊達な描線を、3つの楽器の絡み合う様態で表しました。

(2) 桃紅のひとりごと-1  [sop, pf]
篠田桃紅は、自らの文章を「ひとりごと」と称しています。その美文はウィットに富み、エッセイストとしてエッセイスト・クラブ賞を受賞したこともあるほどで、コンスタントに書き続けられています。ここでは、その魅力溢れる文章の数々から幾つかを抜粋し、歌に仕上げました。

(3) 1960年代の桃紅  『緑』(1965)  [fl]
この時期には既に、平面構成的な構図に墨を用いた「書」とも「絵画」ともつかない、現在のスタイルに至っており、この前人未到の表現形式をして、国際的に評価を高めていくことになります。この『緑』はそういった作風の中でも色の多い部類のもので、表題の緑色はむしろ左に顔をのぞかせるのみ。その、一部の色彩の鮮烈さという手法を、音楽にも転用、トリルの音を「緑色」に例えてお聴き下さい。

(4) 1970年代の桃紅  『風雪』(1970)  [sop, cl]
細い描線のみを用いている点は、初期の作品に近いのですが、ここでは完全に文字としての記号的意味はなく、表題にある「風」や「雪」を白い墨が描き出します。一方、表題の『風雪』は、英語では『Through the Ages』となっており、時間的な経過をも示していることがわかります。「風」や「雪」、そしてこの絵の描線にインスパイアされた音型が、時間的経過とともに変貌していきます。

(5) 1980年代の桃紅  『結』(1986)  [pf]
太く、力強い筆あとと、その中に潜むグラデーション、そして白と黒をベースにして赤がアクセントを添える印象深い平面構成・・・といった、この時期の桃紅作品の特徴を全て具えた作品。白、黒とその中間の色が勢いよく結ばれる中に、赤が際立っています。このダイナミズムを、ピアノの和音とそれを結ぶ線で表現しています。

(6) 桃紅のひとりごと-2  [sop]
ここでも、篠田桃紅の文章から抜粋したテキストによる歌を聴いて頂きますが、今回は伴奏なしの、文字通り「ひとりごと」となります。様々な唱法でことばも解体されていきます。

(7) 1990年代の桃紅  『溌』(1994)  [cl]
下に配された力強い四角と、その上にほとばしるしぶき。白と黒に限定された色彩が、逆に鮮烈なイメージを実現しています。この構図をそのまま、「力強い低音と、そこから派生する高音の飛沫」という具合に、音楽に適用しました。音域の広いクラリネットの独奏ならではの構成ですが、篠田桃紅作品の強さによってこの曲の強さも保証されています。

(8) 2000年代の桃紅 『熱望』(2001)  [sop, fl, cl, pf]
紅い線が、上へ向かって多数、引かれています。この構図はそのまま『熱望』という気持ちを強く感じさせます。そして音楽でも、多数の上行する音型が鳴らされることで、同様の効果を得られます。この絵の力強さを前にすると、とても制作時の年齢を想像できませんが、常人を超えたそのパワーを得て、この音楽も更に、力強く響くことでしょう。





<一応、参考までに、演奏会の第1部の解説もここに載せておきます。>

=第1部=篠田桃紅作品とともに辿る、20世紀音楽史

ここで演奏する20世紀の音楽史を彩る7曲には、それぞれイメージにあった篠田桃紅作品を、選曲を担当した川島素晴が選んであわせました。本日の会場に展示されておりますので、休憩時間あるいは終演後に、どうぞごゆっくりご鑑賞頂きたいと思います。
これらの音楽は、普段、なかなか耳にすることのないものも含まれております。場合によっては、難解に感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、こういった楽曲を篠田桃紅作品とともに鑑賞することで、聴き慣れない音世界も身近に感じることでしょう。篠田桃紅作品と20世紀音楽との共鳴によって、それぞれにもっと親しむ、もっと理解を深める・・・そういう意図もあるのです。

●ドビュッシー / (1890)  [pf]    篠田桃紅『夢』(1998)
フランスの作曲家ドビュッシーは、19世紀の音楽がほとんどドイツ・オーストリアの作曲家によって牽引されてきたという状況を解消し、フランス独特の音楽を実現しました。それまでの音楽では、音の向かう先は文法に従って方向付けられ、人はその方向を予期して聴いていました。しかしドビュッシーは、そういう音の引力を無視することで自由自在に音を操るようになります。この手法は絵画に於ける「印象派」と並び称せられ、その後の20世紀の音楽に大きな影響を与えました。本日演奏する『夢』は、比較的初期の作品ですが、儚い世界を、緩やかな音使いが絶妙に描き出しています。川島素晴による特別編曲版での演奏です。
篠田桃紅作品『夢』は、題名が同じであるということにとどまらず、自由で伸びやかな線、淡く微細な表情を湛える色彩・・・など、この音楽の世界と共通する要素が沢山あります。

●シェーンベルク / 『月に憑かれたピエロ』より (1912)  [vo, fl, cl, pf]    篠田桃紅『月』(1982)
印象派と並行して生じたヨーロッパの潮流に、「表現主義」があります。これは絵画の領域でも大きなムーヴメントを形成しましたが、音楽でも、「ウィーン世紀末」の空気感を背負いつつ、シェーンベルクとその弟子であるベルク、ヴェーベルンらによる「新ウィーン楽派」によって、調性の拡張と飽和から無調へ、という音楽語法の変化を伴って牽引されました。『月に憑かれたピエロ』は、フランスの詩人ジローによる同名詩をハルトレーベンが独訳した詩集を、シェーンベルク自身が選んで配列した21曲からなるもので、歌は「シュプレヒシュティンメ」(語りと歌の中間)という特殊な唱法を用います。中世イタリアのコメディア・デラルテにおける登場人物を素材にしており、ピエロが抱く叶わぬ恋心、それが「月」によって死のイメージを増幅させられる一方、最後には故郷のベルガモを想うことで希望をとり戻す、といった流れを持ちますが、本日演奏する第7曲と第9曲は、ちょうどその中間に当たる部分です。研ぎ澄まされ、しかしどこか背後に厭世観を感じさせる線の運びを持つ篠田桃紅作品『月』は、この世界を髣髴とさせます。(以下に、川島素晴訳による大意をご紹介します。)

7曲『病める月』  [vo, fl]
「黒い夜空に浮かぶ、死病(結核)を病んだ月。その巨大で熱狂的な姿が、奇妙な旋律のように、私をとらえる。鎮まらぬ愛の悩み、憧れにうちひしがれて、お前は死んでゆく。でも、そんなお前の光(苦痛から生まれた蒼白な血)の戯れによって、エクスタシーにある恋人達は、お気楽なことに、歓喜に果てるのだ。」

9曲『ピエロへの祈り(嘆願)』  [vo, cl, pf]
「ピエロ! 私は、笑い方を忘れてしまった。明るさを失ったのだ。私のマストには、黒旗が掲げられてしまっている。ああ、もう一度、私に「笑い」をとり戻してくれないだろうか、魂の慰安者よ、リラ(竪琴)奏者の雪人形よ、月の女神よ!」

●ストラヴィンスキー / 3つの小品 (1919)  [cl]    篠田桃紅『歓』(2001)
無調音楽が席巻する中も、調性の構造を完全に無視するのではなく、ある程度まで踏襲しつつ新しい語法を探る方向もありました。ストラヴィンスキーは、有名なバレエ音楽『春の祭典』に代表されるように、原始的なリズム感を、変幻自在なリズムによって描くことに成功しました。ここで聴く『3つの小品』は、そういった時代の作品で、3つの楽章を通じてクラリネットの様々な表情を描き出すべく、低音域、中音域、高音域という具合に、それぞれ用いる音域を変えていきます。
この作品にあわせた篠田桃紅作品『歓』は、とりわけ第3曲に向かって躍動感を高めていくこの作品の方向性と、力強く鮮烈な赤とそこから湧き出る線とが、共通するものを感じさせます。

●ヴィラ=ロボス / ショーロス第2 (1924)  [fl, cl]    篠田桃紅『Duet(1995)
1次・第2次大戦間の時代、「新古典主義」が世界的な潮流となり、そこでは明確な構造と判り易い表現が復権し、一方でジャズなどの大衆音楽の影響も強くなっていきます。更に、各国の作曲家は自国の民族音楽に取材したリズムや旋律を作品に投入するようになります。ブラジルで最初の国際的作曲家といえるヴィラ=ロボスも、「ショーロ」というブラジルの音楽を下敷きに、独自な形式を探る連作を作りました。この第2番では、フルートとクラリネットのデュオという珍しい編成で、躍動感溢れる世界を描いています。
篠田桃紅作品『Duet』は、白と黒のそれぞれの四角が折り重なり、平面に複雑な立体感を持たせています。この曲での流麗かつ躍動的な2つの楽器の関係性と、一致します。

●ヴェーベルン / 暗い心 (1934)  [sop, pf]    篠田桃紅『こころ』(2000)
続いて聴いて頂く2曲の歌は、それぞれ、「こころ」を描いたものです。篠田桃紅作品に2つの『こころ』があり、それぞれの歌の内容と対応させてみました。
シェーンベルクら、新ウィーン楽派によって、無調による表現主義がもたらされたことは既に述べました。その流れはやがて、12音技法と呼ばれる作曲法に至ります。感情に任せて無調の音を置いていった無調音楽に、シェーンベルクは、一定の秩序を与えようとしました。オクターヴにある12の半音全てを配列し、それを順に用いることで、組織的に無調を実現するわけです。弟子のヴェーベルンもいち早くこの手法を取り入れ、しかも彼は、この音列技法を更に推し進め、極めて小さなフレーズ単位で透徹した音世界を実現します。
この歌は、晩年のヴェーベルンが協力関係にあった女流詩人、ヨーネの詩集『道なき道』から3編を選んで作曲した歌曲集のうちの1曲目です。下記の大意(川島素晴訳)にあるように、暗く、自己否定的な厭世観に満ちた内容です。「暗い心は、息と、光の花びらの香りを想う。死者の棲む地下帝国、暗闇を待つはかない幻影は、夜の力と沈黙を飲む。聖杯が香るとき、金の羽音が魂を毎日空に運ぶ。私は私自身のものではない。私の魂の源は、私を愛するあなたの草地で泡立ち、花開く。あなたはあなた自身のものではない。私の最愛の人であるあなたの魂の川は、乾いていない。私たちは私たち自身のものでない。私、あなた、そしてあらゆるものが、それら自身のものでないのだ。」

●別宮貞雄 / こころ (1956)  [sop, pf]    篠田桃紅『こころ』(2001)
12音技法までの音楽史を辿った後は、日本の作品から2つ。まずは、保守的な作風で知られる別宮貞雄の歌曲です。現代音楽が晦渋になってしまったことへのアンチテーゼとして、調性の復権を主張する別宮貞雄ですが、この作品は調性とはいえ、半音階的進行を駆使した複雑なものになっています。歌曲集『白い雄鶏』の第1曲であるこの『こころ』は、萩原朔太郎の、切なさや儚さが微妙な色彩感覚で描かれた詩の世界を、見事に表現しています。2つの篠田桃紅作品『こころ』との対比はいかがでしょうか。ヴェーベルンの『暗い心』に対して、こちらの『こころ』は、詩の持つ感覚に近いと思います。
「こころをばなににたとへん / こころはあぢさいの花 / ももいろに咲く日はあれど / うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。
こころはまた夕闇の園生のふきあげ / 音なき音のあゆむひびきに / こころはひとつによりて悲しめども / かなしめどもあるかひなしや / ああこのこころをばなににたとへん。
こころは二人の旅びと / されど道づれの物言ふことなければ / わがこころはいつもかくさびしきなり。」

●武満徹 / 巡り (1989)  [fl]    篠田桃紅『静』(1973)
20世紀音楽史を辿る旅の終着点は、日本を代表する作曲家、武満徹の作品です。例えば庭園を巡るときの時間のような、日本人ならではの時間感覚を実現し、また、印象派を継承する耽美的な音色感は「武満トーン」と呼ばれ、1996年に亡くなってからも世界中で愛奏され続けています。『巡り』は、イサム・ノグチの追憶に捧げられた作品です。ノグチは、篠田桃紅の滞米中に関わりのあった人物ということですし、また武満徹は、日本の文化人としてはいち早く篠田桃紅作品を評価し、対談も行っています。そういった意味でも、この作品は第1部の最後を飾るに相応しいものと言えます。
篠田桃紅作品『静』は、かすれる描線はフルートの余韻、白い背景は音と音の間の沈黙・・・というように、「カリグラフィー」を音楽に投入し、「音、沈黙と測りあえるほどに」と言った武満徹の音世界と、見事に重なるものと言えるでしょう。


(2005年11月27日記)