エクスドット
eX.
eX.(エクスドット)は、作曲家・川島素晴が「作曲家の音」及び「現代音楽ライヴ」とし開催してきた2つのシリーズを一本化し、
新たにブレインとして作曲家・山根明季子を迎えて2007年4月からスタートした新シリーズである。
実験性、体験性を重視した通常のライブに加え、experiment(実験)と称するレクチャーを併催し、多角的に掘り下げる。




eX.6

ケージ「Solo for piano」完全上演




ケージの 《Concert for Piano and Orchestra》 (1958) は、多様で難解な図形楽譜による、偶然性時代のケージの記念碑的作品である。
各パートは独奏でも演奏できるので、今回は、ピアノパートの完全演奏に加え、チューバの橋本氏をゲストに迎えての上演となる。
とりわけピアノパートは解読困難な図形楽譜を含む膨大な内容のため、ほとんどの場合は抜粋演奏となっている。
今回は、このパートの完全上演を試みる。





<live> 2007年10月16日(火)19:00開演 18:30開場
渋谷・公園通りクラシックス

¥3000 (予約・前売り¥2500)


ジョン・ケージ 《A Chant With Claps》 (1940s)
朗唱:山根明季子 手拍子:川島素晴

ケージの師でもあった先輩、ヘンリー・カウエルの結婚を記念するイヴェント(何周年なのかは不明)のために書かれ、カウエル夫人に捧げられたとされている。
「紛失作品」とされてきたが、1996年に録音がリリースされた。恐らく、日本での上演は初めてなのではないだろうか。本日の短いプレリュードとして。



ジョン・ケージ 《Concerto for Tuba, Voice, and Piano》
=<下記の曲目の同時上演>
《Solo for Piano》(1957-8)
《Solo for Tuba》(1957-58)
《Solo for Voice 2》 (1960)
《Song Books》 より 《Solos for Voice 13, 45, 60》 (1970)

[出演] 川島素晴 pf, etc  山根明季子 pf, etc  特別ゲスト:橋本晋哉 tuba  松平敬 vo, etc

*約2時間の上演時間を予定。演奏途中の移動やお手洗い、ドリンクオーダーなどは、ご自由にどうぞ。

《Concert for Piano and Orchestra》(1958) は、図形楽譜による偶然性時代のケージの記念碑的作品である。
14パートからなる各楽譜はそれぞれ、独奏曲としても上演できる。しかも、それらをどのように組み合わせても良いという「不確定性の音楽」でもある。
今回はまず、ピアノパート(即ち《Solo for Piano》)の完全演奏に挑戦する試みに加え、チューバパート(即ち《Solo for Tuba》)を同時上演することとした。
また、この作品には、そのほかにも同時上演可能な別の作品が指示されており、その中には、偶然性で作曲された声のための幾つかの作品も含まれている。
今回は、その中から《Solo for Voice 2》と、《Solo for Voice》の続編として編まれた《Song Books》の中の《Solos for Voice 13, 45, 60》を上演する。
このように、演奏される編成は無数の可能性があり、それに応じて題名を変更して表記することになっていて、
今回の場合は、《Concert for Tuba, Voice, and Piano》という「曲名」になる。

これらの中でも、とりわけピアノパートである《Solo for Piano》は、84種類からなる図形楽譜による63ページの楽譜で構成され、
全種類の図形楽譜は異なる読み方が指示されている。そもそも部分上演が可能であること、そして84種類の中には解読困難なものも多数含まれること、
何より膨大な分量のせいもあって、この作品の上演というのは、ほとんどの場合は抜粋演奏となっている。
この曲のフル編成版《Concert for Piano and Orchestra》の初演者であり、世界でも最も《Solo for Piano》を上演してきたと思われる
デイヴィッド・チュードアの演奏として残されている録音を参照しても、全楽譜の1%程度しか使用していないのではないかと考えられる。
それでももちろん、《Solo for Piano》の演奏といえるし、今日ではむしろ、チュードアの演奏こそが、《Solo for Piano》の一般的なイメージとして定着しているであろう。
(例えば、ピアノ以外の物品を用いた発音行為が指示される個所で、彼は必ず、大きな金属コイルを増幅した音具を使用する。
それはたいそう印象に残るのだが、しかし楽譜に指示された音具ではない。)

今回の企画の最大の目的は、《Solo for Piano》としてケージが書き残した全ての断片を解読し上演してみることである。
どんなに解読困難であろうとも、淡々と解読し、全てを音にしてみる作業を通じて、これまでとは異なる作品像に迫れるのではないか、というのが発端であった。
そのような作業に粛々と向き合った結果、それはそれは「音の多い作品」となった。
何種類かあるチュードアの録音の中でも、ケージの朗読とともに上演している《Indeterminacy》のヴァージョンが90分の上演時間となっている。
そのヴァージョンですら、チュードアは恐らく、前述のように全楽譜の1パーセント程度を上演しているに過ぎない。
今回は2時間程度の上演時間を想定しているが、それでも、このように「全楽譜」をリアライズした場合は、
チュードアの演奏とは対極のものとなり、全く楽曲のテクスチャーは変貌してしまう。
チュードアの上演に慣れ親しんだ者にとっては、大きな違和感を覚えることと思うが、しかし私見では、「これもケージ」と考えている。
ケージの作品には「沈黙」の多いものが多く、音が少ないという先入観がある向きも多かろう。
しかし確定的な作品の中でも、多くの音を用いたものは存在するし、有名な《4分33秒》の上演に接するなら、
そこで繰り広げられる沈黙とは、いかに「多くの音」で満ちているかを思い知らされるであろう。
偏在する音のそれぞれに美を見出し、能動的にそれらの関係を見つめることで聴き手各様の発見をもたらす、
という聴取体験が求められているとするなら、音は、多かろうが少なかろうが、体験の本質は変わらない。
(もちろん、少ない音の方がそのような聴取を実現しやすいから、ケージは晩年、音を減らす傾向にあったと言えるのだが。)
更に言えば、「偶然性の音楽」の姿勢として最も大切なのは、「全てを受け容れる」という姿勢である。
意図せざる結果を得ても、それに対する審美眼は個人に属するものであるから、
徹底的な恣意性の排除を目的とした偶然性の思想としては、そもそも「意図せざる結果」ということはあり得ない。
ケージはこの作品で、「各ページの、全ての音を演奏してもよいし全ての音を演奏しなくてもよい」と定義している。
従って1%未満しかリアリゼーションしていないと思しきチュードアの演奏も、「正しい」。
そして、今回のリアリゼーション作業の結果、予想を上回る音の多さに至ったわけだが、その演奏も「正しい」。どちらも「ケージ」なのである。
ようは体験の質の問題であるが、では2時間、息つく間もなくここで繰り広げられる音を観察すべきなのか、と言えば、それはそうとも限らない。
しばしば、偶然性の音楽の体験は「森に入って耳を澄ます行為」となぞらえられるが、2時間森にいて、一瞬も気を抜くことなく耳を澄ませ続けられるものでもなかろう。
自由に意識をシフトすることも可能なはずであり、そう考えていたからこそ、ケージは「ミュジサーカス」といった試み
(複数の同時多発的音楽イヴェントが行われている中、聴衆が自由に移動して鑑賞する)も行っていたのだと思う。
今回も、そのような気持で臨んで頂ければ幸いです。(上演途中の偶発的ノイズも、「音楽」のうち。 ドリンクオーダーなども、どうかお気兼ねなきよう。)







<experiment> 2007年10月7日(日)17:00〜19:00
STUDIO1619
(新桜台徒歩1分、江古田徒歩6分)

¥500


ケージ《Solo for Piano》 の図形楽譜を解読する

80種類以上に及ぶ図形楽譜のそれぞれが異なる読み方となっている
《Solo for Piano》 の演奏方法について、具体的に読み解いていく。




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湯浅譲二「投企 / げき」投射実験

<live> 2008年3月25日(火)19:00  北とぴあ・つつじホール
《観息》《弦楽四重奏のためのプロジェクション I 》《ぶらぶらテューバ》等、湯浅譲二の実験的作品を中心に上演

<experiment> 2008年3月27日(木) 13時半〜16時 すみだトリフォニーホール・小ホール
「湯浅譲二の探究 〜電子音楽作品を中心に」  実演付シンポジウム (パネリスト:湯浅譲二・有馬純寿・川崎弘二)




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