◆シンフォニア『パローレ』(2003)
 Sinfonia "Parole"
<編成>4,4,4,4/6,4,3,2/2timp,4perc,2hrp/strings
<演奏所要時間>11分(冒頭部分2分、本編9分)

<委嘱>日本オーケストラ連盟
<初演>2003年12月16日(火)サントリーホール
      矢崎彦太郎指揮 日本=ASEAN合同オーケストラ
<放送>2005年11月20日(日)NHK-FM「現代の音楽」「日本の作曲家/川島素晴(1)」詳細情報+放送音源(モノ)>
      上記ライヴ音源

<解説(当日配布したもの)>
「パローレ」=「発話」(伊語)。題名は、作品の目指すところそのものを示しています。
 まずこの作品は、<日本とアセアン、全11ヶ国の言葉を一言ずつ発話する、そしてそれをオーケストラで模写する(*下記参照)>というところから始まります。するとオーケストラの響きが、段々と「語り」のように聞こえてきます。そういう耳慣らしを完了したら、オーケストラは次々と「語り」はじめます。そこからはもう、各国の言語を模写するのではなく、全く自由に、しかしどこか各国語の特徴を踏襲しながら進んでいきます。
 皆さんは、知らない外国語による、テレビ放送や映画を、字幕なしでご覧になった経験はありませんか。そのような場合、ほとんどの内容は見当つきませんが、でも何となく解る部分もありますし、そういう「何となく解る部分」は、長く聞くほど増えてきます。そして解らないなりにも雰囲気は体感できるようになり、遂には、響きを聞いているだけでも楽しい気分になってくるものです。
 この作品は、正にそんな感覚でお聞き下さい。これは、音楽作品というより、「オーケストラによるトークショウ」なんです。井戸端会議や痴話喧嘩、演説、ぼやきから漫談、早口言葉まで、色んな雰囲気が感じとれると思います。皆様それぞれに、思い思いの情景を想像して聞いて頂ければいいわけです。
 目指すところは、どの国の人が聴いても一緒に楽しめる、「オーケストラによる共通語」なのです。

<*冒頭部分の言葉>

原語 英語 日本語
ブルネイ Selamat Petang Good evening こんばんは
カンボジア (アルファベット表記困難) Good night おやすみなさい
インドネシア Saya Senang Nice to meet you お会いできて光栄です
ラオス Yin Dee Thi Dai Hou Jak How do you do? はじめまして
マレイシア Apa Khabar? How are you? お元気ですか
ミャンマー Mingarabo Good morning おはようございます
フィリピン Kai bi gan friend 友達
シンガポール Berbicara conversation 会話
タイ Sawad Dee Ka Hello こんにちは
ヴェトナム Am nhac music 音楽
日本 どうもありがとう Thank you very much どうもありがとう


<エピソード>

 2003年に、日本=ASEAN交流10周年の記念行事が各国大使館持ち回りで開催されたのだが、その締めくくりとして、日本とタイの共同企画として開催されたのが、「合同オーケストラ」という構想。日本からは、新日本フィルを中心に各オーケストラやフリーの奏者から50人を集め、そしてASEAN10カ国のそれぞれから50人を集めた、総勢100名からなる合同オーケストラ。指揮者にバンコク交響楽団名誉指揮者でもある矢崎彦太郎氏を迎え、僕の委嘱作品の他に、ダン・タイソンをソリストに迎えたサン=サーンスの協奏曲第2番と、メインプログラムとして「幻想交響曲」を組んでいた。
 ASEAN10カ国のうちプロオケがあるのが、マレイシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ヴェトナムの5カ国(2003年当時の時点)。この5カ国から、45人(矢崎氏も関わっていて開催国でもあったタイが最も多く拠出)を日本に招き、残る5名の枠を、ブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、ミャンマーの、プロオケを持たない5カ国から1名ずつ招く、という想定であったのだが、この構想を伝えたら、オケを持たない国からクレームがきて、そういうことなら10カ国平等に5名ずつ出すべきではないか、という話になった。そんなことをすれば結果が滅茶苦茶になるのは、オケというものを知っていれば考えるまでも無いことだが、そこにはもちろん、政治的な問題も含まれていてデリケート。無視するわけにもいかず、ならば、オーディションに出向きましょう、ということになった。
 そして僕も、そのオーディションに出向くことになった。担当はラオス、ミャンマー。関空の深夜便でバンコクに行き、翌早朝、バンコクの空港で3時間待ちしてトランジット。約8時間のラオス滞在の後バンコクに戻りようやくホテルにチェックイン。翌朝は朝食もままならないままチェックアウトして朝一の便でミャンマーへ。夕方までの滞在でバンコクに戻り、やはり深夜便で帰国、その足で大阪音大の授業に出向くという、1泊4日(機内2泊!!)の強行スケジュールだった。このオーディション問題が生じたのがぎりぎりだったこと(12月16日の本番なのに11月初旬の日程だった)、そもそも想定していない予算だった上に、行き先が豊かな国ではないから予算を請求するのも忍びないため、低予算で切り抜ける必要があったこと、そして僕がどうしても急に大学を休講にしにくかったことなどの理由で、このようなスケジュールを余儀なくされた。それでもバンコクの宿泊はスコタイホテルという立派なホテルだったのだが、せっかくのスコタイホテルも、全く楽しむゆとりはなかった。(同行していたオケ連の岡山さんにホテルのタイ料理レストランでディナーをご馳走して頂いたことが、唯一のくつろげた時間だった。)

 まずは初日のラオス。平均月収20ドルという国なので、ヴァイオリンをやっているというだけで貴族並みということらしい。その他の楽器にしても、エアコン完備でないとすぐに駄目になるので、西洋楽器を習っているという時点で、上流階級なのだそうだ。空港は、国際空港だというのに日本の地方空港程度の規模。それに比べて不釣合いに立派なホール(といっても日本なら地方公民館でもこのくらいのところはあるけど)が印象的。どうやらこれは、日本のODAの成果(苦笑!)なようで、ちょうど鈴木宗男氏が問題になった後だっただけに複雑な心境。しかし、それしかホールらしいホールはないということだろう、数名のオーディションだというのに、そのような立派な大ホールにて待たされたわけだが、始まる前に近所のレストランに連れられて驚いた。外国人向けの店なのでそれなりの値段がするランチメニューなのだが、硬いビーフジャーキーとか、お世辞にも満足できる内容の食事はできなかった。食については、翌日に行ったミャンマーとは比較にならなかった。
 オーディションを受ける予定は6名ときいていたのに、結局、さんざん遅れて現れたのは4名。後の2名は、おじけずいて帰ってしまったり、来なかったり。現れた4名にしても、クラシックのまともなソロのレパートリーというものを持っている人はほとんどおらず、例えば「ロシア民謡を弾きます」と言ってなぜか「ニーナ」を弾き出す人とか、普段いわゆる「文化変化を経た民族音楽」(西洋ポピュラー音楽の影響を受けた民族音楽)のアンサンブルの中でヴァイオリンを弾いているような人が、そのような楽曲のパート演奏をして終わるとか(しかもその、楽譜すらろくに読めない人が、この国最高のヴァイオリン教師であるらしい)、それはそれは惨憺たる結果。とても「幻想交響曲」や僕の新作をまともに弾けそうな人物はいなかった。チェロで唯一、独学だけど頑張っていた人はいた(といっても、他の人よりも難しい曲をどうにかこうにか弾いていた、という程度)のだが、こちらの方針としては、第2ヴァイオリンの後ろの方に座ってもらう(つまり、最も誤魔化しのきくポジションをあてがう)つもりだったので、できればヴァイオリンから誰かを選出したかった。かといって、今きかされた内容ではおよそまともな判断はつきかねたので、僕はその場で思いついて、1ページの初見視奏曲を作曲。それをその場で一緒に読譜、練習する。順応力を見るために、変拍子とかフラジオレット(驚くべきことに、E線の2オクターヴ高い自然倍音のみを用いただけなのに、それですら、全員が初めてやり方を知った、というような状況だった)など、敢えて色々な技術を盛り込んだその曲を、僕の口三味線も交えて手取り足取り指導していき、ユニゾンで弾けるようになるまでのプロセス。もちろん、その短時間で完璧に弾きこなした人はいなかったわけだが、その様子を観察していた、同行していた岡山さんが、順応力を優先して判断し、一人の青年を選出した。案内役の、文化庁役人はいわく、「この国にもオーケストラができたら、その時は是非、我々のための新作を作曲して欲しい。」・・・しかし、道のりは遠いなぁ。。。

 そして2日目のミャンマー。こちらは、ラオスよりは若干、豊かな感じはしたが、興味深かったのは、バスやタクシーが、日本の中古車ばかりだったこと。しかも、日本ではもうどこにもにも存在しないような古いシロモノで、タクシーにはウルトラマンのシールが剥がされないままになっていたし、バスには日本語の「降車口」などの表示や、ボタンの表記にも日本語がそのまま残されていて、昔の日本映画でしか見ないようなレトロな車体を現代の異国で見るという、なかなか面白い現象だった。(タクシーに乗車する前、「3ドル」ときいて乗ったのに、降車時には「6ドル」を請求され、おかしいじゃないかと言ったら、「2人だから6ドルなんだ」とのこと。これは、ぼったくりなんだろうか?)
 ともかく、出迎えも無く自力で国営放送局に到着。何と、ミャンマーの場合、「国営放送局がオケを設立して、3ヶ月前には初の演奏会も開催した、だから、その時に演奏した演目で歓迎演奏をして、自分たちの実力を披露したい。」ということだったので、前日のラオスよりは随分とマシなのだろうな、との期待をもって向かう。で、歓迎演奏として胸をはって披露されたのが、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。これがまあ、何とも言いようのないものだった。まず、編成が奇妙で、picc, fl, cl, 2 trbn, 2 tuba, timp, 20 vn, 1vla, 1vc ・・・って、どうすればこんな編成を思いつくのか、という編成。少ない低弦を金管で補強する、ってことだとは思うけど、ともかく、集められる楽器を集めてやっている、という状況のようで、例えばティンパニなども、ほとんどガラクタ。編曲は、というと、年に1度くらいこの国にやってくるアメリカ人指導者がいて、この人物が編曲も担当しているし(ただし、編曲と言っても、あるパートの楽譜をそのまま管楽器に写しているだけ。ティンパニだけはそれなりに考えたのだろうけど)、全楽器の指導も担当しているとのこと。指導といっても全楽器、しかも1年に1度、ということだから、日本であれば、小学校のオケでもこんな酷い状況ではないはず、ってなもん。例えば、ティンパニ。ガラクタ同然の楽器であることに加え、ミャンマーは椅子が普通より低くて、その低い椅子に座って演奏しているもんだから、手を肩より高く上げて叩いている。それなら立って叩けばいいのに!・・・正直、笑いを堪えるのに必死。弦楽器は、編成は無茶苦茶でバランスも何もない感じだけど、一応頑張っていはいた。しかし、やはりできばえは、日本の小学校のオケにも全く及ばない程度。ああ、これは先が思いやられるな・・・。
 さて。オーディションが始まった。まず、クラリネットの人が出てくる。「いや、こちらとしてはヴァイオリン1名が必要なだけだから」と言っても、「ともかく、うちで一番きちんと演奏できるのが私なので、聴いて欲しい」とのこと。事実彼は、唯一、ロシアに留学までして音楽を勉強したらしく、この中で最も上手ではあった。それでも、普段プロの音楽家をやっているわけではないから、現状としては、せいぜい、日本でいうブラバンのそれなりにうまい中学生、という程度。当然、今回のオケでクラリネットのパートを任せるわけにはにはいかない。で、丁重にお断りした上で、次に登場したのはチェロパートの子。彼女は、唯一、大学で本格的に勉強しているらしい。でも弾いたのは「アイネクライネ」のチェロパートで、それだって、開放弦で8分音符の刻みをするところですら、ギコッギコッと、ほとんど3連譜みたいになってしまっている。つまり、アップとダウンの運弓が不均一で、ここだけだったら(全く弦楽器経験のない)僕の方がまだマシに弾けそうなほど。ラオスの独学チェロ奏者の方がまだマシだったほどなので、当然、今回の参加者にはならない。で、続いて、本題のヴァイオリン候補者たちが登場する。まず驚いたのは、ともかく全員、パート譜のみを演奏するのである。もちろん、こちらからオケスタを課していたならばともかく、そういうことではない。主旋律じゃないところも、どこもかしこも淡々とパート譜を弾き続ける。どうやら、独奏曲のレパートリーというのは全く存在しないらしい。まあ、パート譜弾くのはいいとして、その際、前述の通り「普通より低めの椅子」に、座ったまま演奏し、しかも、足でリズムをとっている。これ、一応、オーディションなんですけど・・・。極めつけは、パッヘルベルの「カノン」を弾いた人。あの曲、最初は2分音符で始まり、段々と細かい音符になっていくのだが、最初の部分をもの凄い速さで弾き始めたもんだから、このままのテンポでいったら、超速演奏になってしまう・・・と思いきや、案の定、次の部分にいくに従って、足でカウントする単位が変わっていき、例の最も細かい部分にきても、最初のカウントと同じ足踏みのまま、通常よりもむしろ遅いテンポに落ち着いた。ガムランの構造を髣髴とさせる(?!)この演奏に、辟易し、もう少しマシな奏者はいないのか、という感じのことを言っていたら、そこに、ヴァイオリンの先生という人物が現れた。コンサートマスターをやっていた中年の人物だ。ところが、この人もまた、「カノン」を弾き始め、全く同じ要領で演奏しだしたのである。こりゃ、どうにもならん・・・しかしながら、さすがに、この人の演奏が最もマシではあったのだが、だからといって「幻想交響曲」や「新曲」についてこられるわけもなく、それにこの人は放送局の重要ポストを担っている人物だから日本に滞在するのも困難、ということで、結局、若いヴァイオリン奏者の中で、比較的マシだった人物を一人、決定した。
 なお、ミャンマーという国は、食文化については、日本人の口にとても合うと思った。タイ料理をマイルドにしたような感じで、タイ料理屋がここまではやっている昨今、ミャンマー料理屋というのも、はやるんではないか? それに、唯一、観光することのできたパゴダは、それなりにインパクトのある観光資源で、一度は訪れる価値のある場所である。ちなみにこのパゴダでは、タイゴングのような楽器を多数置いていた。この年のEnsemble Contemporary αの12月公演で、公募招待作品として選出された星谷丈生さんの作品を上演することになっていて、僕がその中の「Midiピアノ(ゴング兼任)パート」の演奏を担当していた関係で、どうしてもいくつか指定された音程のゴングを必要としていたので、このパゴダ内のあちこちの店を叩き歩いて該当する音程の楽器を探し、購入した。

 ・・・こうしてどうにかこうにか選出された2名に加え、インドネシア、カンボジアからも別のチームでオーディションを行い、それぞれ1名ずつを選出。ブルネイについては、たまたま日本にクラリネットで留学している学生がいることをオケ連がキャッチしていて、この学生に参加してもらうことが予め決まっていた。(FM放送音源をお聴きになった方、この曲の冒頭で声を出していた子、女性じゃなくて男性です。ブルネイの留学生なんです。僕の作品、冒頭に各国の言葉を各国の人に発話してもらう、という仕立てでしたが、見せ場のない5カ国の参加者に、「ソロ」の機会を与える、という配慮もあったのですよ。)

 常設オケを持たない国を含む合同オケも、このように、第2ヴァイオリンの後ろのみに限定することで、「幻想」に「新作」という大胆な演目にも関わらず、矢崎氏他日本のメンバーの指導もあって、本番は何とか「音楽」になっていた。僕も、基本的にはアマチュア想定ではない(しかし例えば第2ヴァイオリンにはあまり高いポジションを書かないなどの配慮はしたが)作曲をすることができた。弦楽器全員が、「指定された音程の周辺で自由に、しゃべるように演奏する。近くの奏者同士、語り合うような感じで。」というような部分があったのだが、ここなんぞは、上手ではない人も積極的に演奏に参加できたようだ。

 演奏後、ラオスとミャンマーの二人に「どうだった?」ときいてみた。まあ、正直、ついてこれたわけではないだろうけど、それなりにエンジョイできたようだ。
 なお、この曲、「再演するときはどうするの?」とよく尋ねられるのだが、再演する際は、冒頭部分、参加している人々の国籍に応じて、新しく書くつもりもあるので。(全員日本人だったら? そのときは、方言大会にするとか。)

2005年11月27日記