◆フルートとハープのためのエチュード『八丈三題』 (2004)
  Etude for Flute and Harp "Three Pieces based on Hachijo"
<編成>flute, harp
<演奏所要時間>8分

<委嘱>千葉純子
<初演>2004年8月1日(日)14:30、19:30 (2回公演) 東京都八丈島・八丈高校講堂
      「八丈町町制施行50周年 團伊玖磨記念八丈島サマーコンサート
      fl:千葉純子 hrp:高山聖子
<再演予定(本土初演)>2006年3月10日(金)18:30 東京都瑞穂町・耕心館
      「千葉純子(fl)&高山聖子(hp)デュオリサイタル


<初演パンフレットに掲載した解説(若干校正してます。)>

フルートとハープのためのエチュード『八丈三題』
 [I] 黄八丈 [II] あしたば [III] ストレリチア

 フルーティストの千葉純子さんから、「八丈島での演奏会のために新作を書いて欲しい」というお話を頂いたとき、まずは「八丈島での演奏会!?」と、驚きましたが、実は10年以上前から、憧れてはいたんです、八丈島に。
 今回、交通手段を調べるまでは、八丈島には1日がかりで船で行くしかない、って先入観が強かったのですが・・・飛行機が就航していたとは!
 僕は今、東京に住んでいながら大阪の大学を教えに週一で片道1時間の飛行機に乗って通勤してるのですが、それに比べても近いなんて!!
 「曲の内容としては、八丈島にこだわらずに何を書いてもいい」とは言われてたのですが、迷わず、今回の作品は「八丈島」にゆかりのものをテーマにしよう、って決めました。
 僕は、「現代音楽」といわれるジャンルで作曲活動をしております。現代音楽というのは、音使いや演奏法を、できるだけこれまでにないもので、ということを考えますから、ちょっと聞いただけでは、難解でとっつきにくいものかもしれません。ですが、そんな、今までに聞いたことないようなフルートやハープの音を、八丈島にちなんだ、皆さんにゆかりのものをとっかかりにして聞いて頂ければな、という思いで取り組んだわけです。
 
[I] 黄八丈
 伝統的な機織の作業からイメージされる音をベースに、アラベスク(=織物)が紡がれます。
 ハープって、機織の器械に似てませんか? ハープが「黄八丈織」をしているところに、色とりどりの糸を通すみたいに、フルートの特殊な音(息の混ざった音と、舌を強く吹き口にあてて出す奏法)が、からんでいきます。

[II] あしたば
 伸びてはまた生え、伸びてはまた生え・・・そんな風に、生命力の強いこの植物が次々に生えてくる様子をイメージしました。
 八丈の大地が持つエネルギーを、全音域を持つハープに託し、そしてそこから湧き上がりほとばしる小さな、しかし力強いこの「あしたば」の生命力を、フルートに託しました。

[III] ストレリチア 
 この花の美しさは、神秘的な姿もさることながら、その色彩の中に南国的パワーを秘めていることに由来するような気がします。
 今にも飛翔していきそうなイメージを、ジェットホイッスルや倍音奏法を中心にしたフルートで、南国的色彩感を、金属の洗濯バサミによるプリパレーションを施したハープで、表現しています。

<ハープのプリパレーション画像>


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<エピソード>

 この企画「八丈島サマーコンサート」とは、八丈島に別荘を持ち、年に一度は必ず演奏会を行っていた團伊玖磨さんの業績と遺志を継ぎ、今でも毎夏に演奏会を開催しているもので、この年は八丈の町制50周年ということもあり、いつも以上に大胆な企画となった。<演奏会の内容
 大胆と言っても、フルートとハープ、そして電子オルガン。「どこが大胆?」との声もきかれようが、実は、八丈島にハープが運搬されたのは、今回が八丈史上、初めてのことだそうで。この演奏会の1年前には飛行機が就航していたのだけど、ハープは船便での運搬となった。演奏会の何日か前からハープを運搬するてはずになっていたのに、実はこのとき、台風の接近もあって、船が何度も欠航になって、ハープが届くかどうかやきもきする状況に。しかし、どうにか演奏会当日には間に合って、リハーサルはまともにできなかったけど、演奏会は決行した。・・・というわけで、やはりこの企画は「大胆」だったといえる。なお、この八丈の演奏会の後、千葉、高山の両名は、ヘリの移動で青ヶ島に赴き、青ヶ島でも演奏会を行った。これも、歴史的な出来事。(『八丈三題』は、その「八丈」にちなんだ内容ゆえに演奏はされなかったけど。。。)
 あと、ついでに述べると、「オルガン」については、團氏が生前使用していたものを調整し、別宅から運搬しての上演となった。<下の写真参照>これはこれで、かなり画期的な機会だったと言える。(なお、なぜ團氏がオルガンを使用していたかというと、八丈では、ピアノを放置しておくと、潮風ですぐに駄目になってしまうようで、別荘としての利用だったから長期間放置していても大丈夫な電子オルガンを利用していたようである。)

 演奏会そのものは、高校の講堂での開催。高校の講堂といっても、八丈では最も立派な会場なのであり、音響としても、申し分ない場所だった。マチネとソワレの2回公演には八丈の島民の皆様が多くご来場下さり、『八丈三題』も、それなりの理解をもって迎えられたようである。
 なお、八丈町は「東京都」だから、2006年3月の再演機会は、「東京初演」ではなく、「本土初演」というクレジットになっている。


開演前の会場


演奏前の挨拶


『八丈三題』演奏中

       
演奏後のインタビュー(暑いので軽装w)      團氏のオルガン      

(2006年2月20日記)