<program>


<ベリオ作曲 『セクエンツァ』 の競演>

太田セクエンツァ (1965)
辺見セクエンツァ (1976)

<川島素晴作品の競演>
太田インヴェンション(1994/2004/女声版初演) [with川島perc]
辺見夢の構造 (1994)

<超絶難曲の競演>
太田グロボカール / Jenseits der Sicherheit (1977/81/日本初演)
辺見ファーニホウ / Intermedio alla ciaccona (1986)

POSTLUDE
近藤譲 / 茂吉の歌六首 (2000) [太田+川島pf]



<当日配布した解説>

--------ベリオ作曲『セクエンツァ』の競演--------

イタリア作曲界最大の巨匠、ルチアーノ・ベリオ(1925-2003)の作品の中でも、各種独奏者による連作『セクエンツァ』は、最も著名なものであった。フルート独奏による第1番(1958)に始まり、晩年まで創作は続けられていたが、昨年(2003年)、作曲家が逝去したのを受けて、2002年に書かれたチェロ独奏の第14番までで完結となった。
 今年(2004年)は、追悼の意味もこめて東京でも京都でも「全曲演奏会」なるものが企画されているのだが、しかし、これら14曲の中に玉石混交があるのは否めない。本日上演する2曲は、とりわけ傑作の誉れ高いものである。

◇セクエンツァⅢ (1965) [太田]
 ベリオの妻であったバーベリアンのために書かれ、演劇的要素が顕著となっている。M・クッターによる短い英語の詩が用いられてはいるが、解体・スクランブルされ、笑い、呟き、むせび、いななき、等の様々な表現で彩られる。

◇セクエンツァⅧ (1976) [辺見]
 こちらは、うって変わって、「まじめな」作品だが、超絶技巧であることに変わりはない。冒頭に提示される素材をもとに、ベリオ特有の作曲技法で展開されていく。(後で演奏するファーニホウの作品は、この曲を強く意識しているようだ。)

----------------川島素晴作品の競演---------------

この企画の首謀者である私は、「演じる音楽」という概念(作曲を、「音」からではなく「演奏行為」からとらえて構築する方法。聴衆が、恰も自ら音楽を上演しているかのような体感に至ることが意図される。)を提唱する作曲家であるが、そのような概念に至った時期(当時は大学4年生であった)の作品が、ここで上演する2曲である。

インヴェンションb (1994/2004 女声版初演) [太田+川島perc]
 副題が「音色と表意の可能性」であり、使用テキストは、
「葉羽叵把覇巴壩吧刃豝叭芭葩頗爬玻疤琶歯派跛簸爸耙欛吧碆菠杷怕笆弝坡陂靶鈀破波端」

 という具合に、漢和辞典の「は」と発音する文字を並べただけのものである。様々な唱法で「は」と発音していき、打楽器
(原曲ではティンパニを用いる)は、それに様々な音色で対応していく。

◇夢の構造 (1994) [辺見] 
 Non-REM期とREM期が交互にあらわれるという、人間の睡眠時の脳波の推移になぞらえた時間構造なので『夢の構造』という。Non-REM期に相当する部分では各種奏法の「伝統からの距離」を段階的に示し、REM期に相当する部分ではそれが攪拌される。その交代が4回行われつつ、取り扱われる奏法も種類を増していき、最後にはありとあらゆる奏法が展開されていく。1つ1つの発音行為を凝視し、体感してみて頂きたい。

-------------------超絶難曲の競演-------------------

ヴィンコ・グロボカール / Jenseits der Sicherheit  (1977/81/日本初演[太田]
 今年生誕70年を迎えるグロボカールは、現代音楽に欠かせないトロンボーン奏者としても著名であったが、近年は作曲家としての評価も高まり、(2004年の)8月に東京のサントリーホール主催の作品個展で来日、また、大阪でも筆者が音楽監督を務める団体「next mushroom promotion」で特集を組み、そこでは辺見氏も「ひたすらトレモロを加速し続ける」という趣向の独奏曲の演奏を披露した・・・と、そのように極めて特殊な発想による極限的な独奏曲が多い中、本日上演する歌の作品『Jenseits der Sicherheit(安全性の彼岸)』は、「唱法」のみならず、身体表現全体を視野に入れている点で更にやっかいである。
 思いつく限りのあらゆる唱法、表情、所作を駆使した、筆者の知る限り、史上最高に演奏至難な歌の作品であろう。

◇ブライアン・ファーニホウ / Intermedio alla ciaccona (1986) [辺見]
 難解で複雑な書法を極めつつあった現代音楽の動向の中、その反動で70年代に現れた「新ロマン主義」或いは「新しい単純性」といった傾向の、更なる反動で現れた「新しい複雑性」の旗手であるファーニホウが、アルディッティという、現代ヴァイオリン演奏のスペシャリストを想定して作曲した作品。従って、リズム、音程、演奏技巧のいずれの面でも極めて複雑精緻な表現が要求されている。この『Intermedio alla ciaccona(シャコンヌ風間奏曲)』は、『インヴェンションの牢獄』というチクルスの間奏曲であり、冒頭に提示される和音の素材が展開していく手法は、本日最初に聴いた『セクエンツァ』を思わせる。
 (そう考えると、後半のこれら2曲は、冒頭の「セクエンツァの競演」を、一層濃厚で激しくしたようなもの、と言えるかもしれない。)

---------------------POSTLUDE---------------------

◇近藤譲 / 茂吉の歌六首 (2000) [太田+川島pf]
 本日は、スペシャリスト2名を迎えての極めて濃密な演目が続きました。最後は、清澄な作品で締めさせて頂きましょう。

かぎりなき()の芽もえつつ春ふけしひとつの山にのぼりてくだる
ひと里も絶えたる沢に車前草(おほばこ)の花にまつはる蜂見つつをり
なかぞらに音する雨はまたたくまに羊歯(しだ)のしげみに降りそそぎけり
風やみし山のはざまは大き石むらがりあひて水を行かしむ
午前四時過ぎたるときにあな寂し茅蜩(かなかな)のこゑはじめて聞こゆ
(ゆく)(はる)の雨のそそげる山なかにためらふ間なく葉はうごきけり